米国連邦政府閉鎖という異常事態が続いている中、連邦債務上限の引き上げ期限が17日に迫ってきた。米国債がデフォルトするまで、あと2日しかない。仮にそうなったらリーマン・ショックを超える衝撃が世界経済にもたらされるかも知れないと、市場関係者はやきもきしている。いくらなんでも米国議会が(いくら対立していても)こんなチキンレースで米国の国際的信用を失墜させ、世界不況の原因を作る元凶になりたくない、と理性を働かせて妥協するはずだと、理性は語る。特に共和党が世論の非難に負けて腰砕けになるはずだ。でも一抹の不安が拭えない、といったところだろう。
しかし米国議会の対立構造は、単純に共和党対民主党といった、そんなにシンプルなものではない。なんといっても下院の多数派である共和党は一枚岩ではない。元々は保守を旗印に、”free country”を追求するビリオネアや地方の名士、それと代々政治家であるような党人派といったestablishmentが主流派だ。それに対し、草の根的なティーパーティをベースとする相対的に若い世代、新保守派を中心とする新自由主義の理論家など、共和党員の中から色々な違う種が育ってきている。わけてもティーパーティをベースとする若い世代の共和党政治家には過激な「連邦政府嫌い」が少なくない(正確にはそうしたポーズをアピールする戦術を執っている)。
問題は彼らの多くが、具体的な政策ではなく「保守」「小さな政府」という理念を至上のものと考えがちなこと、そして共和党のベイナー下院議長がリーダーとして信奉されていないことだ(このことは日本のニュースではほとんど言及されないが、米国の政治番組ではたまに指摘される)。要は肝心の下院において、民主党と共和党のトップ同士が全権委任されて交渉する、という構図になりにくいということだ。なぜなら民主党か共和党かどちらが提案した案にせよ、ベイナー氏が共和党の下院メンバーの過激な主張を抑えて、妥協案で説き伏せることができないということだ。
悪いことに共和党では一部のベテラン(マケイン議員など)を除いて、「我こそは保守の牙城である」といったポーズを選挙区でとることで勝ち上がってきた政治家が多い。要は、弱腰を見せると途端に支持者に非難され、次の選挙に落ちるかも知れないという恐怖感が強いため、最後まで強硬姿勢を貫くパターンに陥り易いのである。その結果、妥協しようとするリーダーを突き上げる様子を自らの選挙区に向けてアピールする、といった個人プレイに走り易いのだ(テキサスもそうだが、内陸部にはこうした共和党の票田が多い)。
これはリーマン・ショックの際にも表面化した共和党の致命的欠陥ではあるが、あのときには民主党も判断ミスして、決裂しても大したことはないと、両者が突っ張ってしまった。今回も似た様な展開が最終局面で巡ってこないとも限らない。そんな懸念が拭えないのである。杞憂に終わることを願うのは当然だが。