「皇族の政治利用」といった戯言(たわごと)は無視せよ

グローバル

7日のIOC総会での高円宮妃久子さまのスピーチは見事だった。胸に日本列島のバッジ、凛とした佇まいに終始笑顔で、全身から「品の良さ」がオーラのように溢れ、切れのよい発音でありながら優しいトーン。「日本は皇族のいる民族なのだ」ということを誇らしく感じる場面だった。

東京のプレゼンテーションの第一走者としての(建前上は招致スピーチとは別だったが)、フランス語と英語で約4分半のスピーチは、東日本大震災の復興支援に謝意を示すものだった。感謝に始まり、感謝で終わり、いかにも日本人らしいもの。そしてあの落ち着き様。プレゼンテーションチーム全体がスムーズに場に溶け込み、集中して自分たちの気持ちをぶつける雰囲気を作って下さったのではないか。

久子さまをめぐっては、皇族の五輪招致活動への関与に慎重だった宮内庁が政府からの要請を受け、出発直前に「苦渋の決断」(風岡典之長官)で総会出席を決めるという異例の経緯をたどった。しかも招致に成功した後でも宮内庁は皇族方の活動にあり方について整理する、としている。どうやら「皇族の政治利用だ」という「いちゃもん」がつくことを警戒していたようだ。

しかし今回のような日本人の夢を実現するのに皇族の方が協力するのに、誰が何の文句を言うというのか。宮内庁はあまりに神経質過ぎる。もしそうした「いちゃもん」を本当につける連中がいるとしたら、あまりに無定見ではないか。

平和・ニッポンを実現するというのが長年の日本の国是である。それを実現した姿を世界の人に見てもらい、より多くの人に日本を訪れてもらうことで、「おもてなし」を体験してもらい、日本を好きになってもらう。なかなか国外に出掛けられない多くの人に、世界各国から来る人と仲良くなる機会をもたらす。それがオリンピック・パラリンピックである。

それを実現すること、協力することは、党派や政治信条を超えた国民的納得が得られることである。だからこそ招致に成功した瞬間、あれほど国民が沸いたのである。つまり「特定の政治のための皇族利用」などでは決してない。

確かに五輪開催は非常にお金が掛かることだから、それより福祉充実やインフラ再整備を重視すべきという意見はある。しかしその大半は実は、「招致活動したって先進国・日本で既に1回やっている東京は所詮勝てない。それなら招致のための活動費用はもっと有効利用しようよ」という「半分諦め」論だったと思う。そう思っていた人たちでさえ、招致成功には小躍りしたはずだ。

2020年の五輪開催という目標が出来たことで、人々の気分がさらに前向きになれば、国内でカネを使う度合が増える。そうなれば景気は明らかによくなり、福祉やインフラ再整備に掛ける費用も捻出できるというものだ。皇族が協力し、スポーツ選手やキャスター・ビジネスマン・政治家・官僚達が本当に(珍しく)一致団結して掴んだこの僥倖を活かせば、ニッポン復活は決して夢物語ではなくなる。