最近、ある方と食事をしながら議論をした際に、私が以前から持っていた疑問が解消されましたので、それを皆さんとも共有したいと思います。それはミッション(mission)とパーパス(purpose)の違いです。
実は私、最近の「パーパス経営」流行りに食傷気味で、いささか皮肉めいた気持ちを持っていました。「どう違うのか?ミッションと同じものを言い換えてバズワードにしているだけじゃないのか」と。
「パーパスが大事です!」と熱心に「布教」する若手コンサルタントに、「じゃあミッションとどう違うんですか?」とちょっと意地悪な質問をしたら、大概口ごもってしまいます。
ネットなどで調べてみても、「ミッションとは、企業が社会において果たすべき使命や任務のことです」となっており、一方で「パーパスとは、企業や組織、個人の存在意義を意味します」となっており、どちらも「企業が果たすべき役割」であり、結局どう違うのかが分かりません。
ズバリ、「ミッションとパーパスの違い」と検索すると、色々と胡散臭い解説が続出します(これはこれで面白いですよ)。まずほとんどが「近い概念であり」とか「意味合いが似ていますが」と断った上で、嘘くさい区分を語っています。
あるサイトでは「パーパスの方が社会とのつながりをより強く意識している点、将来成し遂げたいことよりもいま現在のあるべき姿を指す傾向がある点が挙げられます」と、あたかもパーパスの方が直近でミッションはもっと先の話だと言っていますが、そんなはずもなく、しかもこれ、完全にビジョンと混同しています(よく恥ずかしげもなく公開しているものです)。
別のサイトでは「パーパスはミッションよりも、さらに『社会的な貢献』を意識しています」と、まるでミッションは利潤目的だけを狙うものだと言わんばかりです。絶対、嘘ですね。
また別のサイトでは、「パーパスは、自分たちは何のために存在しているのか、一体何ができるのかというWhyに対する答えだ。これに対して、ミッションはパーパスの実現に向けた戦略であり、行動指針を指す。何をやるか(What)に対する答えとも言い換えられる」と尤もらしい解説を告げていますが、ミッション=使命という本来の意味合いから言えばデタラメな回答です。
さらに別のサイトでは、「しばしば見かけるのは、パーパスはWHYでありミッションはWHATであるといった説明」だが、「実際にはそう簡単に整理できるものではない」(私もそう思います)と否定した上で、「必ずしも定説のようなものがあるわけではない」と結論づけています。最後には「定義の違いにこだわるあまり、本質を見失う危険性もあると感じています」と開き直っています(「おい、お前が始めた議論だろ」と突っ込みたくなりますね)。
さてここまで、いかに「ミッションとパーパスの違い」が微妙で分かりにくいか、または世の「パーパス」を振り回しているコンサルタント連中でさえ分かっていないかを見てきました。
それに対し、最初に申し上げた、「ある方と食事をした際に」辿り着いた「ミッションとパーパスの違い」をお話ししたいと思います(食事をしながらこんな哲学的な話をするのかと驚く方もいるかも知れませんが、その方が深く知的思索をする方だからです)。それは発想の視点が外在なのか内在なのかの違いです。
端的に言うと、「ミッション」は天または世間から与えられた使命、すなわち「あなたたちが果たすべき役割はこれです」と規定されるものであり、「パーパス」のほうは自分たちが「これがしたい、果たしたい」と見つけ出すべき役割だというものです。
どちらが上位・下位でもなく、目的・手段の関係でもありません。結果として同じような役割であってもいいし、結構違う表現または意味であっても構わないのですが、どちらも「何のためにどういう役割を果たすのか」というものを含むのだという解釈です。すごく肚落ちしました。
なぜこの外在的視点と内在的視点に分かれるのかというと、ミッション(mission)は語源から言って王または法王のような絶対的な存在(今なら市場でしょうか)から使命として与えられるものであり、それに対しパーパス(purpose)は誰かに規定されるのではなく、本源的な存在意義として長旅の果てに自分たちが見つけ出し定義すべきものだということです。
正直、私のような古い人間にはミッション/ビジョン/バリューの「ミッション(使命)」のほうが「座りがいい」のですが、きっと「自分探し」に夢中になった世代には自分らしさ・自社らしさを定義できるパーパスのほうがピンと来るのでしょうね。