世界史の教科書を読んで

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最近、娘の高校生時代の教科書『改訂版 要説世界史A』(山川出版社。立正大学教授・木村靖二氏、早稲田大学教授・佐藤次高氏、お茶の水女子大学教授・岸本美緒氏の共著)を拝借して読んだのですが、驚くほどつまらないことに呆れました。

歴史好きを自認する小生がこれほど退屈に感じる歴史の本は珍しいものです。芝居で例えれば、台本通りには話しているはずだけど抑揚がまったくない、素人の「棒読み」状態の記述が延々と続く感じです。

読者に興味を持たせようという気概や工夫が露ほども見られません。「歴史の流れを伝える気はまったくない」と断言しているような、断片的な情報がだらだらと続いているため、催眠効果は抜群です。

こうしたつまらない教科書で歴史を学ぶことを強要された生徒たちが「歴史嫌い」になってしまうのは当然です。実に罪造りな著者たちです(これでも安定的に著作権からの印税が入るのだから、理不尽な仕組みです。ちなみに改訂版の共著者は一部入れ替わっていますが、主著者たる木村教授は継続しているようです)。

それにしても太古の歴史から細々と解説する、昔から続くこの教科書の構成のアホさ加減は、その「工夫のなさ」の最たるものですね。「〇〇文明がどうした、こうした」のだらだらとした記述が、現代社会に生きる生徒たちにどんな意義を感じさせるというのでしょうか。

なぜ第4章にある「20世紀の世界」から始めないのでしょうか。そうしたら現代に通じる国民国家が互いに豊かになろうと競争した挙句、他の国・民族を利用・征服しようとして対立し、二度の世界大戦の惨禍を経て今の世界の仕組みが出来上がったこと、そしてそれでも矛盾・課題が解消されないことが、学ぶ意識がまだ新鮮な生徒たちにも響くはずではないかと思えます。

20世紀から始めることに仮に躊躇を覚えるなら、欧米列強がアジア・アフリカ・アメリカ大陸を侵略・征服し始めた19世紀でも、欧米で市民革命が始まって国民国家が成立し始めた18世紀半ばまで遡っても構いません。少なくとも古代から中世にかけての歴史は後回しにしないと、「歴史嫌い」を大量生産する教育システムを漫然と続けていくことになってしまいます。

なぜ歴史教科書の構成のアホさ加減は延々と繰り返されているのでしょうか。それは欧米の教科書の構成を猿真似しているからに他ならないのです(教科書会社はもちろん、文科省も教科書記述の教授たちも思考停止に陥っているのです)。しかし欧米の教科書が古代から始まるのは必然性があるのです。

彼らの精神的バックボーンにはキリスト教があり、現代社会の成り立ちやその前提たる途上国征服にも、大いにキリスト教の教義や態度(「野蛮人を文明化させる」)、時には直接的な支援が不可欠な要素になっています。だからキリスト教の成り立ちとその発展経路をきちんと歴史教育で踏まえないと、自分たちの文化・文明を語り合う前提が成り立たないのです。だから彼らの歴史教育では古代から中世を経て解き明かす必然性があるのです。

でも日本は全く違います。日本史だったら「黒船が太平の眠りを覚ました」幕末から教えるべきだし、世界史だったら現代社会を形作った欧米による途上国征服と世界を巻き込んだ戦争から始めるべきなのです。