安倍元首相の国葬に思ったことは

社会制度、インフラ、社会ライフブログ

先日の安倍元首相の国葬はどう御覧になりましたか。沿道で激しい罵声を浴びせる抗議デモの集団と、待ち時間3時間以上ととんでもなく長い距離に伸びていく献花に向かう人々の列…。


元首相殺害直後の驚きと憤り。犯人の動機を知るにつれて、犯人への多少の同情と母親への唖然、そして教団への怒り。その後に旧・統一教会の実態と大勢の政治家とのつながりを知るにつれ、自民党とりわけ安倍派への視線は厳しいものに変わりました。国葬を強行した政権の支持率も随分と落ちました。


私個人としては安倍政治への評価は元々辛めです。外交での存在感とアベノミクスの初期の効果は高く評価しますが、マイナス金利に固執する日銀の金融無策の放置、「桜を見る会」「森友・加計」らの問題に対する官邸の「聞く耳持たぬ」態度と(これは安倍さんだけでなく菅さんとの組み合わせによるものと思えます)、長期政権がもたらした官僚の萎縮と極端な忖度が文書や統計の書き換えや廃棄、証言のごまかしにまで行きついた事態は、日本という国家の根を腐らせてしまったと思えます。


でももう一方で、「そうはいっても安倍さんは一国の総理としてあんなに頑張ってくれたじゃないか」「アベノミクスで景気は上向き(就職氷河期はようやく終わり)、ウチの息子は就職できた」と安倍さんに敬意や感謝を示す人たちも大勢いることも事実で、それがあの長い長い献花のための行列に象徴されていたのです。


そして私が国葬の際に最も強く思ったのは、そうした全く違う意見を持った人々が共存し、暴力で互いを傷つけることなく思い切り意見を表明できる、この日本の素晴らしい健全さです。


中国、ロシアをはじめアジア・中東の多くの国では政府への反対表明自体が許されません。欧米先進国でもデモ隊同士またはデモ隊と警察がぶつかり合って逮捕者や死傷者が出ることは稀ではありません。我々は本当に恵まれた政治的環境にいるのです。