競技結果に「申し訳なさ」を感じるなかれ

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先週末から始まった北京冬季オリンピック。事前には今一つ盛り上がりに欠けるという声もありましたが、やはり段々盛り上がってきましたね。

とはいえ、私は夏以上に時間に追われているため、残念ながらほとんどTV観戦できていません。夜にダイジェスト版の番組でハイライトを観るのが精一杯です。かといって注目していない訳ではなく、本当は観たくて仕方ないのです。でも頼まれていた仕事を次から次へ片づけて何とか一日の仕事にめどをつけて「終わった」となると、既に大抵の競技は終わっているのです。

やはりスポーツはリアルタイムで観てなんぼですよね。

唯一の例外はジャンプ競技です。どういう訳か比較的遅い時間まで競技をやっていてくれていたので、小林陵侑選手が金メダルを取る場面は幸運にもリアルタイムで観ることができました。でも女子と団体のジャンプ競技は観れずじまいでした。

その団体のジャンプ競技についてはひと悶着ありました。高梨沙羅選手が1回目でいいジャンプをしたのに、直後のチェックで規定違反により失格となってしまった件です。本人が非常に落ち込み、気丈にも2度目の大ジャンプを成功させてチームの4位入賞に貢献しながらも、その直後に泣き崩れてしまった様子は痛々しいものでした。

しかもその夜にインスタグラムを更新した彼女は黒一色の画像と共に「私の失格のせいでみんなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。今後の私の競技に関しては考える必要があります」と、自身の進退にも言及したそうです。

正直、このスーツの規定に関しては理解しがたいものがあります(要はスーツが体より大きくて余裕があることがダメということのようですが、股下に伸びているケース以外はむしろ不利になるようにも思えます)。

過去にもよくあったそうですが、今回は他の国の選手にも失格が相次いでおり5人が同じ日に失格となっています。まともな状況ではありません。オリンピックの場でのこの稚拙なやり方は国際スキー連盟(FIS)の権威を失墜させる出来事です。

それにしても、仮にこの規定が合理的なものとしても、こうしたスーツの規定チェックは選手本人ではなく、スタッフの仕事ではないでしょうか。そのミスの責任を高梨選手自らが背負って、しかも自身の進退まで言及するのはあまりに酷です。

そしてこんなおかしな規定に関しスタッフを責めるつもりも、私にはありません。ましてや高梨選手本人が申し訳なさを極端にまで感じているのは痛々しい限りです。何とか思いつめないで欲しいです。

個人戦でメダルを取れなかったことが響いているのだとは思います。でも世界で4位ってすごいことです。確かに戦前には「優勝候補」との声も高かったのは承知しています。でもこのレベルの競争になってくるとほんの少しの風の具合(つまり滑走の順番)でまったく結果は違ってきます。運も大きな要素です。

同じような痛々しさを感じさせたのがフリースタイル・モーグルの川村あんり選手です。

彼女は優勝候補の一人でしたが、結果は5位入賞。滑り終わった彼女は涙声で、真っ先に支援者に感謝すると共に、「金メダル候補と言っていただいた中でメダルが獲れず、申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝りました。

この子、まだ17歳ですよ。高校生にこんなセリフを言わせるのは、世の中どうかしていると私は思いました。

もし心理的な要素で思い切ってできなかったとか、明らかな技術的ミスで失敗したら、「申し訳ない」というのもありです。それはここまで努力してき自分に対してです。でも自分なりに思い切ってやって運の要素で結果がついてこなかったら、それは仕方ありません(正直、録画で観る限り、川村選手の滑りは銅メダルの選手よりよかったと個人的には思えます)。

だからメダルを取れなかったからといって済まなさを感じることはまったくないと私は思います。ただ結果に対し「悔しい」、「次こそ」と前向きに捉えて欲しいです。

多くの日本選手は支えてくれた人たち(家族・友人、スタッフ、スポンサーなど)に感謝の意をよく表しています。競技の後のコメントでもそうですし、他のインタビューの際でもそうです。それ自体は素晴らしいことだし、日本人らしい気持ちの持ち方でもあります。

でも、だからといって結果に関し世の中に対し過剰に責任を感じるのはおかしいと思います。

確かに(スポンサーだけでなく)公共の税金を使ってアスリートたちを支援している側面はあります。でもそれは、アスリートたちが頑張る姿が国民に元気を与えてくれるから、国費を投じる価値があると判断されているのです。

だからあくまでアスリートたちは(国の威信やスポンサーのためにではなく)自分のためにベストを尽くして欲しいと思います。

そして世の中の人も、たまたま結果が出なかった競技者を間違ってもバッシングしないでいただきたい(中国や南米などではそんなことがしょっちゅうありますが、成熟社会では論外です)と願って止みません。