AIに関する誤解と「嘘」と隠れたメリット

ビジネスモデルブログ

(以下、コラム記事を転載しています)

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近未来にAIが普及すること自体はほぼ自明だ。しかしその影響にはそもそも誤解が少なくない。実態がよく知られていないがゆえに過大視されがちな側面もあるが、意外と無視されている側面もある。AI利用による新サービス/製品の企画・開発をお手伝いする機会が以前から多い弊社としては、こうした点が妙に気になってしまう。

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AI(人口知能)が注目されて久しい。その普及による社会的影響の捉え方にはポジティブなものとネガティブなものの両面がある。

1.AIへのポジティブな捉え方と制約

ポジティブなとらえ方をする例としては、多くのAIが既に人間の専門家のように役に立つレベルまで来ており、しかも人間とは違って疲労知らずで、常に高い判断レベルを保持してくれるので、安心して任せられるということを謳うことが多い。

特に防犯分野での進化ぶりは目覚ましい。店舗で怪しい動きをする万引き犯をすぐに見つけて警戒を呼び掛けることも、路上で怪しい動きをしている犯罪予備軍を見つけ出して近くを巡回する警官に連絡することも(これは米中が先行)、かなり進んできている。しかもAI自動監視システムならば昼夜24時間ずっと警戒を怠ることがない。

しかし「AI」と謳っているものを全て真に受けてはいけない。現状、世の中で喧伝されている「AI」システムが指しているものの多くは、実はただの(昔流行しながら今ではほとんど聞かなくなった)「エキスパートシステム」に過ぎない。

今どき「AI」というからには本来は自己学習機能があり、データが貯まれば貯まるほどどんどん精度が上がっていく仕組みを持っているべきだ。しかし大半の「AIもどき」のエキスパートシステムでは、あらかじめプログラムされたロジックに従って判別・行動するだけなので、いくらデータが蓄積されようと(つまりいつまで経っても)、一定以上には「賢く」はならないという根本的な違いがある(注1)。

 

注1.某大手通販会社のAIがこのエキスパートシステムに該当する可能性が高いことを小生は別のコラム記事で指摘したことがある(『Amazonさん、それはAIとは呼ばないのでは?』)。

 

もちろん、「もどき」ではない真っ当なAIであれば、データが蓄積されるに従って学習効果が働き、しかも「疲れ知らず」でずっと高い精度の仕事を続けてくれるはずだ。ただし、この「データが蓄積されるに従って」というのが曲者(くせもの)で、言い換えれば「データが蓄積されるまで」は間違った判断を平気で行うポンコツ状態だし、場合によっては利用者を危険にさらすことだってあり得る。

自動運転車はまさにその例だ。(認知性の低下や感情によるパニックを起こし得る)人間よりも適正な判断をAIがすることによって安心・安全な運転をして事故を回避することを目指しているが、発生しうる道路交通や天候などの周辺状況が千差万別過ぎて、蓄積されるべきデータが極めて膨大であることが開発の大きなボトルネックになっている。つまりいくらテスト走行やシミュレーションをしても、なかなか十分とは言い切れないのだ。

2.AIへのネガティブな捉え方に付きまとう「嘘」

一方、AIに関してはネガティブなとらえ方をする向きも少なくない。その最も有名なものが「AIによって多くの仕事が奪われる時代が来る」という言説だ。

英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授とカール・ベネディクト・フライ研究員が共に著した『雇用の未来—コンピュータ化によって仕事は失われるのか』という論文が最も有名だろう。その論文によると、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論なのだ。いっときは週刊誌などで大いに掲載されていたので聞きかじった人も少なくないのではないか。

さらにその論文執筆者2人と共同研究した野村総合研究所が同様の、日本でのAIが仕事にもたらす影響に関するレポートを発表している。

こちらは、「10~20 年後に、日本の労働人口の約 49%が就いている職業においてAIが代替しかねない」との推計結果を出して、「身近な話なんだ」と世に衝撃を与えたことも記憶に新しい。

でもいずれも、コンピュータが得意な、「データに基づいた単純作業(入力・抽出など)」「正確性が求められるデータの処理」「データの照合」といったものの組み合わせで成り立っている仕事が奪われやすいという結論なのだ。それは当然だろう。

しかしこの2つの論文(および類似の考察)に関しては具体的な職業名を鵜呑みにしないほうがよい。なぜならコンピュータには得意な部分をやらせて、相変わらず人間は雑多な周辺業務を含めて関連する仕事をし続けることになる可能性も随分とあるからだ。例えば「行政事務員(国、地方)」という仕事は、手続き事務的な部分はコンピュータというツールを使って効率的に行われるようになっても、相変わらず住民の相談受付や各部署との調整は人間が行うことに落ち着く可能性が高い。

もう一つ、鵜呑みにしないほうがいい理由がある。AIが代替するには物理的な作業を行うロボットが必要となるケースが幾つも散見されるが(「給食調理人」「建設作業員」「スーパー店員」など)、そうしたロボットを新たに開発し代替させるより人間がやったほうが社会的にコスト安に済むケースが多いと考えられるからだ(もちろん、深刻な人手不足のせいで当該職の「なり手」がいなくなったらAI付きの作業ロボットも開発・導入されようが、それは「AIが仕事を奪う」という話ではない)。

しかし少なくともデータ絡みのアシスタント的な業務はコンピュータで代替され、そうした業務ばかりで成り立っている仕事はなくなることは目に見えている。すると会計事務所のアシスタントや弁護士事務所のアシスタント(パラリーガル)の多くは失業する可能性が高いということは予見できる。でもアシスタントを経由せずとも会計士や弁護士にはなれるので、そうした職業を目指す人たちがパニックになる必要はない。

3.AIアシスタントがもたらす隠れたメリット

一方、彼らを使って仕事をしている会計士や弁護士はどう変わるのだろう。彼らも「淘汰」されるのだろうか。

その主要業務は顧客(クライアント)獲得・維持であり、相談を受けて調査判断しクライアントにアドバイスすることである。人間のアシスタントの代わりにAIコンピュータというツールを使って調べ物をするという具合に業務スタイルは若干変わるが、主要業務部分はあまり変わらないだろうと予想される。コンサルタントも同様だろう。

むしろ、AIコンピュータがアシスタント業務を果たせるようになると、こうした士(サムライ)業には共通して「ベテランの賞味期限が延びる」という副次効果が見込めそうだ。

高齢の会計士や弁護士、もしくはコンサルタントが不本意ながら引退を余儀なくされる最も大きな要因の一つが記憶力の減退だ。クライアントの面前や法廷といった場で肝心な用語や条文、もしくは相手の名前などが言葉として出てこない、もしくはあやふやな記憶に頼ったら間違ってしまうといった「みっともない場面」を繰り返すと、一挙に自分の執行能力に自信がなくなって自ら引退を決断せざるを得ないのだ。

しかしそうした微妙な場面でも補聴器につながったAIアシスタントに(まるで独り言のように)小声で「あの○○の関連の条文は何だった?」と確認すれば(ただしAIアシスタントにだけ分かる符丁で尋ねる必要はあろうが)、たちどころにAIアシスタントが正しい答をその場で教えてくれるという訳だ。ちょっとコミカルなシチュエーションだが、決してSFコメディの話ではなく現実解になる日は遠くないだろう。そしてこれは士業に限った話ではない。

え?「人間のアシスタントが隣にいれば今でもできるのではないか」と?その疑問は人間心理を分かっていない。

自分の圧倒的年下の(かつ家族でもない)部下やアシスタントに、自分の記憶力の減退をもろにさらけだせる高齢者の職業人は少数派だ。

特に自分が中心的役割を担っている(と自負している)職場で、それまでなら「そんなことも知らんのか」とばかりに得意顔で教えていた相手に、実に基本的な単語を「あれだよ、あれ。なんだっけ?」と尋ねること。それは自らの老いをさらけだす行為であり職業人のプライドを打ち捨てるのに等しいと考える人は少なくないだろう(小生のように若い折から自分の「忘却力」に自信のある人間の場合には結構平気なものだが…)。

それに対し相手がAIアシスタントであれば、どんなに初歩的で基本的な用語でも、恰好をつけたい時のことわざでも、実に気軽に訊ける(実際、スマホ検索で似たようなことをやっている人も多かろう)。「恥ずかしい」という感情が起こるはずがない。

しかもしょっちゅう同じパターンの「ど忘れ」を繰り返すほど、「ほら、『あれ』だよ、何だっけ」という曖昧な問い掛けにも近未来のAIアシスタントは適切な答を返してくれよう(まるで長年連れ添った古女房のように)。

これはAIアシスタントの隠れた大きなメリットだ。中高年諸君、未来は意外と明るいようだ。