日本がコロナ検査に消極的なワケ

社会制度、インフラ、社会ライフブログ

残念ながら新型コロナウイルスの治療法が確立していない中で、感染拡大を防ぐ唯一の方法は患者およびその濃厚接触者の隔離です。したがって効果的なウイルス封じ込め対策は「クラスター把握→感染者隔離&行動履歴追跡→濃厚接触者の検査」です。欧米の感染専門家の合言葉は”Test, test and test”(とにかく検査せよ)で、とにかく感染が疑われる人を片っ端から検査することがすべての始まりなのです。

お隣・韓国は、感染者数は早い時期から有数の多さですが、その検査の徹底度とフォロー体制の充実(感染者の訪問場所の公表など)により「模範的な対策」と世界からは高い評価を受けています。ドライブスルー検査まで実施しているのだから、悔しいけれど大したものです。

そんな中、先進国の中で唯一、日本は検査の実施に関して極端に消極的です。有力メーカーへのPCR検査機の生産働き掛けにも政府は及び腰で、民間で進めていた幾つかの簡易検査キットの採用検討にも厚労省は消極的です。

PCR検査が実施できる機関もまだまだ限られており(3月6日以降の保険適用を受けて全国800カ所ほどの帰国者・接触者外来が実施機関となり、昨日になってようやく1日2万件に倍増することを宣言しましたが)、しかも診療所や小さな病院経由で保健所に検査依頼をしても大方は断られるそうです。

ではもしあなたが自らの感染を強く疑うなら、どういうルートならよいのでしょうか。いきなり医療機関に飛び込むのではなく、各地の新型コロナ受診相談窓口(帰国者・接触者電話相談センター)に電話相談すれば、症状・背景によって判断されるので、その指示に従う必要があります。

最近の渡航歴や症状などから感染疑いのある場合、帰国者・接触者専門の外来にて診断され、そこで感染疑いが濃厚となれば当外来の医師から保健所に連絡され、保健所の判断で初めて検査が実施される、という繁雑なプロセスをたどります。

言い換えればこの途中のどこかで「渡航歴もないので感染疑いが濃くはない」とか「症状が軽いので、後回しにしても大丈夫だ」などと判断されれば、検査は受けさせてもらえません。実際、感染経路が分からない状況が増えた今、こういった理由で検査を受けられないという苦情が溢れているし、一種の「たらい回し」に遭った挙句、検査・入院になかなか至らずに結果的に重症化してしまったという訴えも目にします。

ではなぜ厚労省はこれほどまでに新コロナウイルスの検査に消極的なのでしょう。幾つかの理由が考えられます(以下、事実を基に、彼らのロジックを類推しています)。

第一に、現実問題として検査実施のボトルネックが大きかったので、「やりたくてもできない」という側面があったのは事実です。

1つ目のボトルネックはPCR検査機(それなりに高価な機械です)の数、2つ目のボトルネックは検査機を取り扱って判定できるスタッフ数、この両方とも限られていることです(ここは倍増させるのでしょうね)。だから一挙に感染疑いのある人達がそれらの機関に押し寄せてきても処理し切れないことは目に見えていました。

そしてPCR検査の判定プロセスに時間が掛かることが3つ目のボトルネックです。仮にPCR検査機とスタッフを増やしても、その結果が判明するのに時間が掛かるのです。当初は数日、今でも一両日は掛かっている模様です。

第二の理由として、(世界の趨勢に反して)検査をする意義に疑問を呈する専門家が日本では少なくなかったようです。実はこれが、厚労省が新型コロナウイルスの検査に積極的でない最も大きな理由かと思われます。

それは典型的には、「(簡易検査もフル稼働させて)片っ端から検査してしまうと、判明した感染者が急増したら入院させないといけない。そうなれば治療法がないのだから感染症対応の病院ベッドがすぐに満床になってしまい、本当に対応しなければいけない重症患者が入院できず、措置できなくなってしまうじゃないか」という意見です。

この背景には「感染症法」(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)の存在があります。新型コロナウイルスは既に「感染症法」に指定されていますが、この法律では感染が判明した患者に対しては入院勧告を行うことが明記されています。つまり強制的に入院させる義務がある訳ではないけれど、お医者様から「入院をお薦めします」と言われれば、大概の人は応じるでしょう。

そして新型コロナウイルスに関しては病状悪化のリスクがよく分からない初期段階ではもちろん、その後も急速な症状悪化の事例も報告されているので、大概の医師が、軽症だろうが未発症だろうが、まずは入院を薦めていたはずです。

今や感染症対応の病院ベッドがまもなく満床にならんとしている東京周辺ではこの認識は大いに変化しつつあり、軽症や未発症だったら病院ではなく自宅か借り上げた宿泊施設で様子を見てもらえばいいじゃないか、という話になっています。でも感染が急拡大する前の段階では厚労省にも医療関係者にもそうした発想があまりなく(つまり「入院させないといけない」という思い込みが強く)、検査体制だけ拡張することに厚労省は否定的だったと考えられます。

その姿勢を後押ししたのが、PCR検査の信頼性に疑問符が付くことではないでしょうか。つまり、陽性なのに陰性と誤判定される、その逆に本当は陰性なのに陽性と誤判定される、のいずれもそれなりにあるということです(本当はどんな検査機にもつきまとう必然的な問題ですが)。実質的な正解の確率は7~8割という説もあります。ましてや簡易検査キットだとさらに誤判定率が高まります。

この精度で、感染疑いがある人に気軽に検査を許してしまうと、2通りの「間違い」による好ましくない事態がそれぞれ引き起こされ得るのです。

1番目は、本当は陰性なのに陽性と誤判定される「偽感染者」が続出して、ただでさえ逼迫しかねない入院ベッドをさらにふさいでしまう問題です。一旦入院させてしまうと、もう二度検査をして連続で「陰性」とならないと退院させられないと思い込んでいた厚労省および多くの医療関係者に、「これは医療崩壊への近道だ」と危惧させた可能性は十分あります。

2番目は逆に、本当は陽性なのに陰性と誤判定された人たち(つまり真の感染者)が安心して気軽に出歩き、他の人たちに片っ端から感染させかねないという問題です。これはこれで現実的にありそうな恐怖のリスクです。

どちらの誤判定のケースでも大いに問題です。それだったらいっそのこと検査を簡単には受けさせずに、軽い自覚症状の人たちには2週間ほど自宅待機して様子を見てもらう、それで自然回復すればめっけもので、もしその間に症状が重くなったら面倒ながらも正式なルートで検査を受けてもらって入院してもらうほうがいいじゃないか、となったのではないでしょうか。

要は、「現実的に検査体制が貧弱で大きなボトルネックを抱えており」、「検査をしたからといって治療法もないのだから、入院ベッドをふさぐ軽症・無症状患者が急増してしまう恐れが高く」、「検査してもその判定の信頼性が高くないのだから余計な問題を増やすだけ」。「だからいっそのこと全面的な検査はしないで確実に感染が疑われる人だけ検査をすればよい」という結論になったのではないでしょうか。

ついでに言うと、「厚労省および政府関係者が、インバウンド効果に依存している地方経済や安倍政権に忖度し、国際的に突出しかねない状況にあった日本の感染者数を人為的に抑制するために徹底的な検査を忌避した」と主張する人たちも少なからずいます。小生はそうした「陰謀説」的な言説には与しませんが、結果的に日本の感染者数の発表値に対する国際的信頼が低くなっていることは指摘しておきたいですね。

上記に挙げた厚労省および政府の判断の筋立てはあくまで小生の推論ですが、大筋では合っている可能性が高いかと思います。そしてそのロジックは、「個別の感染源を突き止めることをせずとも何とか感染爆発を封じ込めることができ、事態を収拾できる」という超楽観的な見通しの下で正当化されるに過ぎません。

今さらながらですが、やはり一定割合の誤判定も許容した上で最初から徹底的に検査をしまくって(そのためには検査機と検査スタッフを大幅に増強する必要がある)、軽症および無症状の感染者は病院ではなく自宅待機または政府が借り上げた宿泊所にて隔離することを早い時期からやるべきでした。その検査で仮に「陰性」が出た人に対しても、「後になって発症することもあるから」と2週間程度の自宅待機を強く進める(GPSによる位置監視アプリも義務付けて)、といった予防対策は執れたはずです。

難しいからといって工夫を放棄した結果が、今の「検査は最低限必要な場合だけ」「感染が判明したら入院」という「もぐらたたき」式であり、それは本質的に非常にリスキーな判断だったと言わざるを得ません。

この「人智を尽くさず運を天に任せた」消極策の結果、どういう事態がもたらされているか。検査を無理に絞っているがために、冒頭に挙げた有効なウイルス封じ込め対策が採れず、事ここに至っては非常事態宣言の上での実質的な都市封鎖しか感染爆発を抑える有効な手段が残されていない、という事態に追い込まれているのではないでしょうか。

危機管理を間違うとどうなるか、我々は本当に過去に学んでいるのでしょうか。