4月11日(土)と5月9日(土)に放送された「ザ・プレミアム 井浦新アジアハイウェイを行く」はとてもよかったです。本当にアジアハイウェイに沿って旅する気分にさせてくれます。
4月11日第1集は「変貌する文明の十字路」と題し、トルコ、ジョージア(旧グルジア)、アゼルバイジャンを回ってくれました。
まずはトルコの首都・イスタンブール。何度もTV映像で観ている憧れの街です(カミさんと「いつか行こうね」と言っております)。活気のあるバザールの様子が映し出され、土産物屋の男性が日本語で話し掛けてきます。英語・仏語・スペイン語も達者とはなかなか努力家で、商売繁盛のようです。
次いでは、街で大人気のレストラン。ここのオーナーはやり手で、何と7軒も持っているそうです。その自宅からはボスポラス海峡が一望できます。実に素晴らしい。
旧ソ連から独立したジョージアはキリスト教の信仰心の厚い土地です。井浦さんが訪れたのは小さな村ですが、自家製ワインを振舞ってくれていました。世界で最初にワインを作った土地がジョージアだそうです。なるほどワインはキリストの血ですものね。
首都・トビリシでは民族舞踊団の踊りと歌声を聴かせてくれました。旧ソ連ではキリスト教およびワインと同様に禁止されていたそうです。何から何まで民族の誇りを封じられていたのです。その暗黒時代に比べれば今は極楽でしょうね。
しかし南オセチア自治州ではロシアと国境紛争の真っ最中で、難民キャンプを映していました。難民の子供たちは屈託のない笑顔で井浦さんと接していましたが、わずか15キロしか離れていない故郷を目の前に、彼らの心情は複雑だと感じました。
この日最後のアゼルバイジャンの首都・バクーでは、実に綺麗な街並みが夜のネオンに照らされる光景で始まりました。いかにも資源大国・アゼルバイジャンに相応しいと思いながらも、翌日に繁華街ニザミ通りを歩く井浦さんが言った「疲れるんですよね、ここ」というのは実感がこもっていました。
その通りからちょっと入ったところにある退去を余儀なくされている住居の住民の声は複雑でした。政府と住民の間で、家族の間で、それぞれ土地売却で揉めているそうで、何かしらバブルの嵐が吹き荒れた1980年代後半のニッポンを思い出させます。
5月9日第2集は 「知られざるイスラム大国」~イラン~でした。
最初は港町、バンダレ・アンザリーでした。港町での市場の雰囲気は意外とどの国も似ているものでしたが、売られている魚は決して美味しそうには見えませんでした。でもカスピ海で獲られたばかりの新鮮な魚だと主張していました。
そこで出遭った男性は日本語が達者で、実は日本に出稼ぎに来ていたこともある人でした。そう、バブルの頃の前後に日本に多かった、出稼ぎイラニアンの一人だったのですね。
「テロ支援国家」、「核兵器開発疑惑」「米国による経済制裁」といったニュースが伝えられるイランに対し不安を抱きながらの旅だったようです。
しかし首都・テヘランで目に飛び込んできたのは、巨大なショッピングセンターに溢れる世界中の商品や華やかなファッションで颯爽と歩く若い女性たち。井浦さんたちがそれまで抱えていた、ネガティブなイメージは覆されたようです。
そのあとに訪れた共同墓地での、様々な家族が先祖にお参りしている光景は実に感慨深いものでした。やはりどの国でも同じなのですね、先祖を敬う気持ちは。
その次は古都・イスファンにある「イマーム広場」。様々な人が集い、思い思いに過ごす、実に平和な光景。国際的に孤立してもなお、信念を貫くイランの人々の芯の強さを垣間見ます。長い歴史と伝統に裏打ちされたペルシャ人の誇りなのかもしれません。
そして最後に訪れたのが、イランの人々にとって最も大切な巡礼地のマシャドです。目撃したのは、アルメニア人のための教会と、イスラム教の施設「ガダム・ガー」でした。前者ではキリスト教の、後者ではシーア派の、それぞれの人々の深い信仰心です。
米国人が想像するイラン人は狂気の権化ですが、ここに登場するのは日本人に見せてくれる、温かく寛容な本来のイラン人の素顔です。遥か遠くの異国ですが、石油施設の建設などに長い間出掛けて帰国した日本人が皆懐かしむ、心豊かなペルシャの民です。