8月28日に放送された「カンブリア宮殿」はダイキン工業の井上礼之会長を招いての「どん底から世界トップへ!爆発する人材力の秘密」でした。社長就任時に赤字に陥っていた年商 3700億円の大阪のメーカーを20年で売上高1兆7800億円の世界企業へと変貌させたカリスマ経営者ですが、やり手というより、徹底的に人間のポテンシャルを信ずる真のリーダーだという感を持ちました。
ダイキンは元々、業務用エアコンで高いシェアを誇ってきた会社です。しかしバブル崩壊後、多角化経営が行き詰まり、赤字に転落。そのさなかの94年、創業家からバトンを渡され社長に就任したのが、井上氏でした。実はそれまで本業である空調事業を経験していなかったというから驚きです。
井上氏は、大胆な戦略を次々と実行、数々の大逆転伝説を残してきました。まず多角化部門からの撤退を決断、空調事業へ資源を集中させる戦略をとりました。そしてアナリストから撤退を推奨されていた、家庭用ルームエアコン事業に注力することを決断。そのため、当時の技術部長から提案された①換気機能、②空気清浄機能を却下し、③無給水加湿機能(冬に水をつぎ足さなくとも加湿し続けられる機能)を開発することを指示し(しかも極端に短期間での開発を強く要求したのです)、エアコン「うるるとさらら」を大ヒットさせ、一挙にシェアトップへ駆け上がりました。「圧倒的差別化でないと意味がない」というのが選択の理由でした。もうこのあたり、ドラマ「ルーズベルト・ゲーム」のようです。
さらに冷房文化がほとんどなかった欧州での急拡大。大勢の人が死んだ欧州での熱波の年に、業務用として立ち上げを進めていた欧州工場を、井上氏の鶴の一声で、家庭用に急遽切り替え大増産したのです。これで一挙に欧州での主要メーカーに踊り出ました。
そして中国市場での奇跡的な成長。大市場にひしめく大メーカーたちの中で最大の格力と業務提携したのです。中国市場での販路を提供してもらう代わりに、命綱と見られていたインバーター技術を提供したのです(この時、小生はダイキンの株式を買ったので、よく覚えています)。危惧された中核技術流出にはならず、一世代遅れていながらも他の中国メーカーの持たないインバーター技術を入手できた格力はインバーター内蔵エアコンに注力し、バンバン宣伝してくれ、お陰で中国市場でもインバーター内蔵エアコンが浸透しました。結果として最高のインバーター技術を持つ高品質メーカーとしてダイキンのブランドが一挙に認知され、中国市場でもメジャーブランドとなったのです。
本当に打つ手打つ手が当たり、しかもいずれも大胆な戦略です。しかし井上氏は「一流の戦略&二流の実行力」よりも「二流の戦略&一流の実行力」のほうがいいと断言します。その成功を支えてきたのは、高いモチベーションで執念深く実行できる社員たちあってこそと強調します。
同社の人材を作る秘密は、「厳しい困難を、信頼して任せる」文化にあると言います。例えば、社員のほとんどが障害者である子会社「サンライズ摂津」も特別扱いせず、営業からコストダウンまで、厳しい責任を社員たちに任せきることで、高いモチベーションと黒字経営という結果を生み出しています。それは海外事業も同じ。日本人社員でなく、現地の社員を信じ、任せることでモチベーションを引き出し、高い成長を実現してきたのです(そのお陰で今や押しも押されもしない一級のグローバル企業です)。
そんな人を育てる材術は、例えば毎年恒例の盆踊り大会でも発揮されます。地元の一般客へも解放し、2万5千人が訪れるという大会をゼロから企画・運営するのは、入社2、3年目の若い社員たち。彼らは仕事を実質的に免除され、巨大な盆踊り大会の運営を任され、困難に立ち向かう力を養うのです。
そんなダイキンの企業としての姿勢を、社員たちに伝える最初の場が、入社した直後に行われる「鳥取合宿」です。5泊6日で行うこの集団生活は、井上氏が始めて以来40年以上続いてきたものです。朝の運動、集団ディスカッション、砂浜でのキャンプファイヤー。様々な活動の中で新入社員たちの心を動かすのは、先輩社員たちや役員たちが全身全霊で自分たちを歓迎し、受け入れようとする姿です。
「我々の会社は、あなたたちの人生や思いを絶対に受けとめる」「会社と社員はフェアに選び合う関係」。そんな企業としての決意を伝えられる新入社員は「いい会社に入った」と実感できるでしょう。そして大切に見守り育てられている実感を持ちながら、育ち具合に応じてチャレンジの機会を与えられ、思い切って力を奮ってみる。昭和のニッポン企業のよい家族主義的部分と現代の市民感覚を併せ持ったバランス感覚のある会社だと感じました。