漂流するタイ国に日本はどう向き合うべきか

グローバル

ついに軍によるクーデターにまで行き着いたタイ。どうやらタイの軍部は局面打開のため周到に機会を窺っていた模様です。事態も行方も不透明ですが、日本にはやるべきことがあります。

インラック首相の失職・退陣後も続いた政権側=タクシン派(赤シャツ)と反政府側=反タクシン派(黄シャツ)の対立による政治的混乱は、ついに軍の介入による「ちゃぶ台返し」という不名誉な事態を招きました。残念ながら、タイの政治は成熟の機会を再び逃してしまっただけでなく、その民主主義の歩みはミャンマーと同等水準にまで立ち戻ったといえます。

20日時点では戒厳令を布告して対立勢力の調停に乗り出していた陸軍は、22日の夕方になって行政権限を掌握したと宣言しました。事態の正常化と「全勢力に公平を期した国家改革」をその理由として。同時に夜間外出禁止令および5人以上の政治集会の禁止も発令され、実際に両派の動きは封じ込まれているようです。

日本の報道の多くでは、軍は対立する両派の対話を促すべく努力したが、成果が見られないためにやむなくクーデターに踏み切った、という軍の言い分をそのまま伝えていますが、少々表面的ではないかと思えます。実際にはバンコクの陸軍施設で開催された2度目の会合に集まった与野党の関係者を軍が拘束し、現在も軟禁している模様です。軍の主張するように、たとえ初回会合で両者の歩み寄りが全く見られなかったとしても、それは予想通りだったはずです。2度目の対話を始めて2時間もしないうちにクーデターに踏み切った経緯から考えて、初めからシナリオ通りだったとみるのが妥当でしょう。

2006年9月の前回クーデターでタクシン氏を首相の座から放逐したタイ国軍は、当時内外から強い批判を受けたため、今回の行き場のない両派対立の混乱の中でも随分我慢を続けていました。高齢の国王が以前のように仲介役に乗り出すことが無理な現状から考えて、「軍によるクーデターでしか決着しない」という予想(期待?)は市民の間にも根強かったのです。しかし、外資による直接投資と近隣諸国と連動したサプライチェーンの確立が発展の原動力になってきた近年の経験から、外国人(特に先進国)が嫌がるクーデターは避けるべきと軍関係者も公言していたらしいです。その軍がなぜ、非難覚悟でクーデターに踏み切ったのでしょうか。

軍の伝える発表文のニュアンスと事の経緯からすると、インラック首相退陣後に繰り返された両派のデモ合戦がどんどんエスカレートする兆しを見せ、このまま行くと不測の事態を迎えかねないこと、つまりいずれかのデモ隊が暴走し、軍がそれを武力で抑える過程で死傷者が出る、という事態を恐れたということです。つまりどうせ非難される武力鎮圧に踏み切らざるを得ないのなら、抜き差しならない事態に追い込まれてやるより、未然の段階でかつ迅速に事態を収拾したいということだったのでしょう。

だからこそ一度は対話の場を提供したという「アリバイ工作」をした上で、その茶番劇をずっと続けるのは馬鹿くさいので、「だまし討ち」的段取りではあっても、早めのクーデターを手際よく成就させたのではないでしょうか。なかなかの切れ者がタイ陸軍にはいるようです。

しかし問題はこの後です。プラユット司令官を議長とする国家治安維持評議会は、全権掌握を宣言した上でプラユット氏に首相権限を付与したそうですが、両派の対立をどう決着させ、内外の非難が高まる(そして経済的ダメージが効いてくる)前に民生にどう移管するのか、現時点では全く見通せません。

1回目の両派の対話では、調停役にあたるプラユット司令官は、現内閣が総辞職した上で、選挙を経ずに暫定政権を樹立、6~9カ月以内に総選挙を実施することなどを提案していたそうです。彼は、前回当時のタクシン首相を放逐したクーデターの実行指揮者でもあります。そして現在、インラック前首相をはじめ、タクシン派(タイ貢献党および反独裁民主同盟=UDD)の幹部に出頭要請が続々と出されています。ゆえにタクシン派からみれば、軍は明らかに「反タクシン寄り」に映っているはずです。元々「今度クーデターが起きたら反対行動に立ち上がる」と幹部が公言していた経緯を考えると、タクシン派はプラユット氏の指導に素直に従わず、その拠点の北部地方でデモ蜂起、そして武力衝突が起きる可能性すらあります。これは大きな不透明要素です。

一方、反タクシン派のほうは、自分たちの主張を軍がある程度掬い取ってくれそうな雰囲気から、大きな反発の様子は見せておりません。現実問題として、象徴的リーダーのアピシット氏もデモ首謀者の行動派・ステープ氏も軟禁されているようで(しかも携帯電話等を取り上げられており)、何か指示をしようにもできない状況です。反タクシン派の支援者の主力はバンコク経済界であり、商店主たちですから、むしろデモ合戦がどういう形にせよ収まってくれたことにほっとしているのが本音でしょう。

とにかくいずれの関係者も短気を起こさずに、賢く政治的妥協を図ってもらいたいものです。

タイ進出を検討していた日本企業では、当分この地への新規進出は検討アジェンダから外されるでしょう(実際のところこの動きはすでに数カ月間止まっており、弊社のビジネスにも影響がありました)。タイ経済にとっては痛手ですが、身から出たサビですから仕方ありません。

一方、すでに現地に進出している企業関係者などはずっと、この「大人げない小競り合い」の状況に少なからずいらだちを覚えておりましたが、軍によるこの急展開は全くの予想外だったはずです。東南アジアに近年構築されたサプライチェーンに、そのグローバル生産体制が相当依存している日本企業は少なくありません。また、戒厳令と夜間外出禁止令で「商売あがったり」になる店やサービス企業も少なくなく、この先どうなるのか、現地日系企業の関係者は不安にさいなまれているはずです。

現地に多くの企業が進出し、駐在員家族も多い日本はこの事態に対し、彼らの安全が第一に優先されるよう、軍主体の暫定政権に対し日本政府が要請すべきであることは当然です。しかし政治的立場に関してへたにくちばしを挟むことには慎重になるべきでしょう。米国のように、クーデターに対し単純に非難するだけでは、事態の打開に対し何の貢献にもなりません。他国のクーデターと違って権力掌握そのものを目的としない(はずの)タイ国軍からは「俺たちの苦心・苦労を分かりもしないで」との反発を生んで、コミュニケーション・チャネルを閉ざすだけに終わってしまいます。

かといって日本人に対する危害や日本企業に直接損失が発生することさえなければいいやと、この混乱する情勢に対し頬かむりするような態度では、民生移管後の付き合いにおいて信頼を深めることはできません。経済的損得だけを気にする従来の視点を超えて、タイに民主政治が復活し、分断された社会が再生するよう促すことが、同国に多大な利害と関心を有する親密な友人としての日本には求められています。いわば家族が大喧嘩して傷つけあっている近所の家に対し、最も付き合いの深い隣人として節度を保ちながらも踏み込んで、これ以上の事態の悪化を許さないために呼び掛けるべきです。

具体的には外交ルートと民間ルートの両方を通じて明確なメッセージを送るべきでしょう。特に、(1)日本は常にタイの人々の友人であってその友人たちが互いに傷つけ合わないことを心から願うこと、(2)「不測の事態」を招かないよう両派の人々および軍の自重を要請すること、の2つが大前提です。

そして(3)軍が今回果たそうとしている、国家の「緊急避難」のための役割認識に理解を示した上で、今後軍が(4)一方の政治勢力に偏らず真に公正な調整機能を果たし、(5)民生への早急な復帰を目指すことを求めること(したがってそれに沿った行動を取っているかを注意深く監視すること)、(6)そのための協力ならば日本は喜んで行うことを伝えるべきです。

一方で、シビアな認識も突き付けるべきです。つまり(7)万一懸念する「不測の事態」が発生した場合には、日本として心ならずも様々な協力停止措置を取らざるを得ないことです。それは多くの日本人と日本資本が現地から引き揚げることを意味しますが、同国がこれ以上混乱すれば否応なしに現実となる話です。そしてこれはタイ国軍もよく理解しているはずの「避けるべきシナリオ」です。