4月7日の未来世紀ジパング、”知られざる親日国シリーズ”の第5弾は「知られざる親日国・ポーランド」でした。
ヨーロッパの中央に位置するポーランドは今、経済成長の真っ只中にあります。首都ワルシャワの街には、近代的な建物や新しい商業施設が次々に建てられています。1989年の民主化で共産主義のくびきを逃れて大きく変化したポーランドは、その後EUにも加盟し、今やGDP成長率が21年連続のプラス成長という勢い。リーマンショックや欧州不況でもずっとGDPがプラス成長なのは同国のみです。
現在、ポーランドに進出する日本企業の数は約300社。ちょっとした進出ラッシュです。ポーランド工場で作られた製品が周辺のEU諸国へと輸出される、一大生産拠点となっているのです。理由のひとつは先に挙げたポーランドの安定した経済です。そして、もうひとつの理由はポーランド人の気質にあるといいます。それは日本式のやり方を習得しようと懸命に働くポーランド人の、想像を超えた真面目な気質でした。日本人以上に日本的ということです(不思議な言い方です)。
重要な精密部品であるベアリングを生産する日本企業・日本精工の現地工場を、番組が取材してくれました。そこでは日本の工場でみるように、職人の動きをビデオに撮り、無駄がないかチェックするTQC活動が行われていました。日本から派遣された副工場長は最低限のアドバイスに徹し、現地従業員の自主性に任せているとのことです。ある従業員の家庭にもスタッフが取材すると、とても満足しているコメントを家族の前で披露してくれていました。工場が現地に根付いている感じが伝わってきました。
そんなポーランド、実は驚くほど親日的だったのです。剣道など日本の武道がブーム。ポーランドの名門ワルシャワ大学の人気学科は日本学科、倍率はなんと30倍を超えるとのことです。学科の大学生は日本語がぺらぺら、日本人顔負けの俳句を詠んでいたのにはびっくりです。さらに、2人の学生の家を訪ねると、食事は白いご飯に冷凍餃子(餃子定食!)、日本の即席麺も(パッケージは日本語だらけ!)大人気でした。
この日本びいきの秘密は、100年近く前のポーランドと日本を結ぶ“奇跡の物語”が語り継がれているためでした。ワルシャワ郊外の共同墓地に、一組のポーランド人夫婦。父親の墓参りにやってきたという夫はこう語りました。「私の父は94年前、日本に命を救われた。あの時、日本が父を救ってくれていなかったら、私はこの世に存在していないのです」。ポーランド人は当時の恩を忘れない、と語るのです。
第一次世界大戦後、多くのポーランド人がロシア革命と内戦の中、シベリアに流され、極寒の地に留め置かれていたのです。次々と命を落とすポーランド人たち。その中には多くの子供たちが含まれていました。「両親を失った子供たちだけでも救えないか」というポーランド政府の必死の依頼に唯一応えたのが日本でした。765人の孤児を迎え入れたのです。
とはいえポーランド孤児たちは最悪の健康状態で、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護したのです。大正当時、日本自身が貧しい国ではありましたが、全国から多額の寄付も集まり、子供たちはやがて健康と元気を回復しました。数年後、無事にポーランドに戻った孤児たちは、終生その体験と日本への恩義を語り継いだといいます。それが今日なおポーランドに根強い親日感情につながっているとのことです。この話、日本では全然知られていませんが(小生も知りませんでした)、ポーランドではよく知られているそうです。
その後も第二次世界大戦で連合国側にありながら、ポーランドは日本に対しヤルタ会談の情報を秘密裏に流してくれたり(これも知りませんでした)、先の東日本大震災では多額の援助物資をくれたりしています。日本もポーランドに対し多額のODAを毎年続けています。今や欧州のポーランド、中東のトルコは、日本が世界で最も重視する友好国です。本当に有難いですね。先祖がよい行いをし、そのお陰で子孫が仲良くできるというのは。
注)援助に対し好意を返してくれるのが世界の常識なのです。長年の援助に対し憎悪を返す中韓は特殊なのです。