日本維新の会が看板政策として強硬に主張し続け、今や立憲民主党も乗っかり始めた「高校(の授業)無償化」の議論ですが、どうも胡散臭い話だと私は思っています。
維新の会の議員に言わせると「子どもが家系状況に左右されることなく、高校を自由に選択できる社会を作ることが大人の責務だ」などと尤もらしい理屈を述べ、あたかも「経済的に恵まれない子どもたちに、より高いレベルの教育を受ける機会を提供する」といった感じの、さも正義の政策みたいに聞こえます。
しかし実際のところ、これが実現するとどうなるかを考えてみると、とんでもない事態が出現しそうなのです。
そもそも高校の授業料に関しては全国の大半の自治体で既に相当程度軽減されていること、特に公立高はほとんど無償化されていることが分かっています。このため、仮に維新の言う通りに全国で無償化を実現した場合、恩恵は(今は補助の対象になっていない)高額所得者だけに限られてしまうのです。
しかも地方には私立校はとても少なく、これで喜ぶのは高額所得の都市部住民だけです。
高校の授業料に対し既にかなりの補助を出している大阪府の実情によると、授業料が少額で済むようになった私立校の人気が高まる一方で、公立高校は人気が離散して定員割れが続出しているそうです。
逆に言うと、維新の会の議員はお膝元でのそうした実情を知りながらこの政策を推進している訳で、経済的弱者を救うといった高尚な目的は全く考えていないことが明白です。
彼らの狙いは、地元・大阪などの都市部に多い「小金を持ったプチ富裕層(今のままだと補助金を受け取れない層)」の子育て世代の歓心を買いたいだけなのです。しかもかなり大きな国の財源(年6000億円といわれる)を使って。
もう一歩進めて、この政策を実施すると何が起きるか、よく考えてみましょう。
一つには大阪での動きと同様に、(補助金により経済的に可能となる)ミドル層の公立高校から私立高校へのシフトの動きが全国の都市部で生じるでしょう。これは公立高校のスポンサーである都道府県にとって深刻な問題を引き起こすでしょうね。
もう一つは元々経済的余裕があって(補助金がなくとも)子どもを私立高校に行かせていたようなプチ富裕層の人たちは、そうしたミドル層の子どもに我が子が将来弾き出されないよう、「無償化で浮くおカネ」を(既に通わせているところか、または上級の)学習塾にさらにつぎ込むことでしょう(多分、夏合宿だとかネタは色々とありそうです)。
そしてその行き着く先は、学習塾の繁盛であり、大学受験競争のさらなる激化であり、大学受験結果が家庭の経済格差によって左右される度合いが大きくなるという必然的結果です。
「高校無償化」というタイトルだけ聞いて何も考えていない一般庶民は「あぁ、ええんとちゃう?」と反応するのかも知れません。
でも本当は、(選挙目当ての低俗な政治屋に)無駄な税金の使い方をされるだけでなく、自分たちの息子・娘が大学受験に臨もうとする際に、実は金持ちの子どもたちと比べ不利なハンデを背負っての挑戦となることに気づくべきです。