韓国の外交論争に関する興味深い記事を読んだ。日経ビジネスonlineの鈴置高史記者による『「慰安婦」を無視されたら打つ手がない~韓国の新思考外交を読む』だ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150203/277074/?P=1
http://ceec.blog.fc2.com/blog-entry-6495.html(日経ビジネス会員でない人用)
日経および日経ビジネスの記者は、ビジネス関係はともかく、国際政治関係については若干ズレているかと思っていたが、見直した。
既に大半の日本人の対韓国視点は冷め切っている。この事実を韓国の政治家や行政官がほとんど感づいていなかったというのもどうかと思う。何故、こんなに時間が掛かってしまったのだろう。何故、冷静な分析ができないのだろう。
もちろん彼の国における、長い間にわたる歪んだ歴史教育の罪が一番大きい。それは外交エリートたちの認識さえ蝕んでいるということだ。
そして両国のエリート間での交流が非常に偏っていることが大きいのではないか。韓国の数少ない親日家には親韓家(旅行好き?)しか日本人の友人しかいないだろう。彼らは非常に少数派かつ夢想家だ。
友人たる韓国の指導者に対し、「日本人は韓国のことなど無関心だ」という耳に痛い事実を伝えない。それはそこまで相手のことを真の友人だと思っていないことの裏返しでもある。
一方、大多数の日本人は元々「親韓」でも「嫌韓」でもなく、なんとなく「隣国だから仲良くすべき」という「小学生の建前」的感覚で韓国を見ていたに過ぎない。
韓国が「過去の謝罪」で日本からカネを巻き上げている不良の甥みたいな振る舞いを何度も繰り返していることなどは知る由もなかった。それは政治家や外交官と政治評論家を除けば、一部の政治オタクしか興味のないことだったからだ。
ところがソウル五輪やサッカー日韓共催をきっかけに始まった「韓流ブーム」で多くの日本人女性が韓国という近い異国に興味を持った。しかも一部のオバさんたちが韓流スターに大いにハマってしまった。
これが日韓のマスコミで取り上げられ、海外輸出で成功してGDPが急成長しつつあった韓国人のプライドを妙に刺激してしまったのだ。「自分たちはもう日本に劣等感を抱く必要はなく、対等なんだ」と(本来はその通りなのだが、それまでの劣等感が強烈すぎるため、この『反動』的感覚は語句自体の意味を超えていた)。
そこからの彼の国の人たちの増長ぶりは目に余るものがあった。しかしそれは一部の関係者のみが眉をひそめているだけでよい代物で、大半の日本人にとっては無縁の事柄だった。せいぜいが、サッカー日韓共催W杯での韓国側の振る舞いや、浅田真央VSキム・ヨナ対決に際しての理不尽な裏工作などに関し、第三国からの指摘や忠告で気づかされた人たちだけが失望や嫌な思いをするだけだった。
しかしスマホ/SNSの普及により様々な情報が一般消費者に流布されるようになり、韓国の一般市民(その実態はネット市民だが)が日本を大嫌いで口汚く日本を罵っていることを否応なしに知ることになったのである。
特に従軍慰安婦問題がでっち上げだと判明してから、しかもそれにも拘らず韓国の団体や政府が日本を非難する様子が何度も報道されるにつけ、完全に日本側の空気は変わってしまった。「嫌韓」を旗印にする本や記事、ウェブサイトが近年、目立って増えたのである。
そうした情報に触れ、隣人の理不尽さにあきれ、「ここまで嫌われているんだったら、あまり深く付き合わなくていいんじゃない?私たちは東南アジアや欧米・中東で尊敬され好かれているんだから」と、大半の日本人が気づき始めたのだ(その類のTV番組の影響は実に大きい)。
韓国マスコミや政官界の人たちはこうした日本社会の雰囲気の変化をもっと早く肌で知るべきだった。しかしもう遅いかも知れない。
日経ビジネスオンラインの記事が指摘するように、朴政権は対日政策方針を完全転換できないだろう。一方安倍政権がうまくいっている「対韓突き放し政策」を止める理由もない。日本人が再び韓流スターに心ときめかして韓国好きになる可能性は万に一つもない。
このまま日米と中韓の関係は少しずつ離れていくのが、歴史的、地政学的に「有り得べき近未来シナリオ」なのだと思う。