親日国・イランの国際社会復帰を待つ

グローバル

11月25日(月)の未来世紀ジパングは100回記念SP「池上彰が解き明かす!謎多き国イラン」。池上彰とジパング取材班が、特別に許可を得て現地に乗り込んだスペシャル番組はとても興味深いものだった。

核開発疑惑で米国から「悪の枢軸」と名指しされ、その後の核兵器開発疑惑により課された経済制裁によって苦境の続くイラン。日本もイランからの原油の輸入を激減させ、数千人いた企業の駐在員も100人余りと、今や日本人にとっては馴染みが薄い国である。しかしイランのロウハニ新大統領就任以来、雪解けへの足音が聞こえてきている。

経済制裁下、外資や外貨の流入が細るイラン国内ではインフレが急激に進み、ここ数年でパンの価格は4倍、牛乳は3倍にもなった。また、インフレに高額紙幣の発行が追いつかず、最高額のものはトラベラーズチェックで代用されていた。取材陣などの外国人はリアル紙幣を大量に持ち歩かなければならない。海外との金融取引が止められているため、クレジットカードが使えないのだ。

バザールを取材していた池上氏たちが男たちに取り囲まれ、話しかけられる。日本人と分かると親しげに声をかけてきて必ず「ウェルカムトゥ・イラン」と言う。「中国人か、日本人か」と聞かれ、日本人と分かると途端に親しげになるそうだ(経済制裁に参加していない中国製品が入り込んでいるので、中国人ビジネスマンはそこそこいるようだが評判は芳しくないようだ)。池上氏は土産物を買ったところで、日本人だと分かると「日本人ならお代はいらないよ」と受け取ってもらえなかったそうだ。それほど“親日家”が多い国なのだ。

さすが時機を得たSP番組、かつ親日的と思えるのは、旧アメリカ大使館の内部取材を許されたこと。あの1979年の在イラン・アメリカ大使館人質事件の現場である(イスラム革命の騒乱の中、テヘランの学生たちがアメリカ大使館を444日間にわたって占拠した。アカデミー賞映画「アルゴ」の舞台でもある)。そこは今、さながら反米博物館。占拠直前にアメリカ職員がシュレッダーにかけた機密文書を、イラン人が一本一本張り合わせて復元したものなどが展示されていた。要は、「米国はこんなスパイ活動をしていた」とアピールする場になっているのだ。

テヘラン市内にある垂れ幕。アメリカとの対話路線に動き出したロウハニ政権を批判するスローガンが書かれている。しかし後日、その垂れ幕は撤去されていたという。政権側が動いたのだという。イランの中でも、柔軟派と強硬派がせめぎあっているという証拠だ。

それにしても、イランってこんなに親日国だったんだと感心した。日本の同盟国・米国とは犬猿の仲で、米国の同盟国の一つ、イスラエルやサウジアラビアとは宿敵の仲。しかし元々日本とは長い友好関係があった国。一時、ビザ免除で多くのイラン人が日本に来た時代があった。小生も親しく口を聞くイラン人の若者がいた。そのときに日本人と交流して日本好きになった人が多いと聞く。さらには「日章丸事件」(出光興産が英海軍の包囲網をかいくぐり、世界メジャーの英国アングロ・イラニアン社を出し抜いてイランと直接取引をした事件)、そして「おしん」が国民的ブームの人気になったこと。

当時は日本人が外国人に排他的だと感じたが、個人と個人の交流ではとても仲良くできていたということだ。同じ米国と対立する中国と違い、米国にも日本にも悪さをしないのだから、「何とか助けてあげたい」と思わせる。ミャンマーと同様、早く経済制裁が解除される日が来るのを期待したい。