1月30日に放送された「カンブリア宮殿」は少々特異な事例ではありましたが、興味深いものでした。「消滅寸前…日本の伝統のものづくり企業を次々再生!300年企業が挑む“新・ブランド創出術”」と題して、老舗ものづくり企業の再生を次々に果たしている中川政七商店社長の中川淳(なかがわ・じゅん)氏を採り上げていました。
中川政七商店は、奈良で300年続く麻織物「奈良晒(さらし)」のメーカー。そんな老舗企業が、今や全国に33店舗を持ち、急成長しているのです。実は自社商品を製造・販売するだけでなく、全国の伝統工芸品を自社の店舗で売り、瀕死のものづくり企業を再生させているのです。
東京・丸の内に、平日の日中でも大人気の店があります。奈良の麻織物の老舗が仕掛ける「中川政七商店」です。店に並ぶのは自社の麻織物などの製品だけでなく、包丁、土鍋、ノート、陶磁器などなど、「暮らしの道具」をコンセプトにした、日本の伝統工芸の品々です。「伝統工芸品」は数多くありますが、生き残りは極めて厳しい時代です。なぜこんな店が繁盛できるのでしょう。
中川淳社長は、京都大学を卒業後(やはり優秀な人なんだ!)、2年間の大手電機メーカー勤務を経て、家業の中川政七商店に入社しています。父の代では茶道具などを扱い年商9億円と経営は安定していたはずでしたが、入社して初めて看板の麻部門が赤字に陥っていることを知ります。危機感を感じて改革に乗り出した中川氏でしたが、他にはそんな危機感を持った人はいなかったようです。そんな折、デパートに営業に行くと、伝統の麻のポーチが特売品でワゴンセールになっており、かなりショックだったようです。
「良いものであっても、伝え方が悪ければダメだ。自分たちでそれをやろう!」中川氏は、商品の良さを客に直接伝えられる、自分たちのブランド造りと直営店の立ち上げに挑みます。そして見事に表参道ヒルズへの出店を果たします。これにより中川政七商店は奇跡の再生を成し遂げたのです。
ここ数年、中川氏のもとには廃業の知らせが後を絶たないそうです。日本の生活と共にあった品々を作って来た零細、中小企業が次々と姿を消しているのです。そこで中川氏は、中川政七商店の再生で得たノウハウを使って、他社の再生支援をすることにしたのです。しかも、たった一人で。中川氏は、「その良さを自分たちで伝えること」にこだわり、さらには経営不振にあえぐ企業に出向き、有料で経営指南までしているのです。
長崎県波佐見町にある有田焼の下請けメーカー「マルヒロ」では、確かな技術と生産力を生かして「売れる商品づくり」を提案。焼き物のブランドに「HASAMI」と命名し、地域も製品も同時に発信する手法を展開しました。
また新潟県三条市にある包丁鍛冶「タダフサ」では、900種もあった包丁を絞り込み、客が選びやすいよう「基本の7本」を提案しました。そのうちの1本は、中川氏とタダフサとで考案した、包丁メーカーならではの「パン切り包丁」。どこにもないタダフサだけの一品に、注文が殺到しました。
企業再生を手掛けるコンサルタントは数多くいますが、中川氏のやり方は一体何が違うのか?「何をやりたいのか、将来どうなりたいのか。僕らの手法は『自分たち起点』でものづくりを考える」と、中川氏は話します(このコメント自体は大抵の再生コンサルタントと同じですが、むしろ2年も掛けてじっくりやることが違いだと思えました)。そして産地再生のカギは「一番星を作ること」だと中川氏は言います。
中川氏は最近、新たなコンセプトの店を立ち上げました。それは土産物店。「土産物こそ、その土地に根付く昔ながらの工芸品」。そう考えた彼は、経営に苦しむ土産物店と、作ったものが売れなくて困っているその地域の工芸の職人をネットワークする仕掛けを考えたのです。その名も「日本市」。人が集まる「市」と、日本一の土産物という意味をかけました。まずは奈良に1号店。今後、これを全国各地に広めていくつもりです。
中川氏は言います。「その地域に、タダフサのような“一番星”ができれば、2番手、3番手は見よう見まねでついてくる。これが産地を元気にする秘訣です」。自分の店で他社の工芸品を売り、経営に入り込んで再生に手を貸し、さらには産地を元気にする仕掛けまで自分で作る。誰もやってこなかった「ニッポンの工芸を元気に!」を、中川氏は実践しているのですね。