総合商社を「グローバル企業」と呼ぶ幻想

グローバル

友人のコンサルタントに相談された。ある業界の集まりで「真のグローバル企業になるには」といったテーマで講演するらしいのだが、ヒントをもらえないかと。少し話しているうちに、彼が「この業界は総合商社ほどグローバル化しているわけじゃないからなぁ」とかつぶやくので、つい吹き出してしまった。この著名経済人でさえそうした「美しき誤解」をするのか、と呆れてしまった次第である。

(ちなみに小生は出身大学の関係で友人にも先輩・後輩にも商社マンが多く、個人的には一時期商社志望だったことすらあるほど総合商社には関心がある。大手の数社に対し、比較的最近もお世話になったり、時折お付き合いもさせていただいたりしている。したがってこの後の考察と表現が多少シビアに聞えても、それは悪意ではなくむしろ「愛情表現」だと捉えて欲しい)。

総合商社の活動の舞台はなるほどグローバルで、日本人が他に1人も住んでいないような地の果てまでもネットワークを拡げている。特に資源ビジネスで勇躍したこの20年余り、その駐在・出張先地域の拡がり具合は大したものである。へたをするとCIAやKGBよりも、砂漠や山岳などの僻地に出掛けているかも知れない。

しかしながら小生の基準では、彼らの組織体質は徹底的にドメスティックで、その価値観や行動基準はこれっぽっちもグローバル企業のレベルには近づいていない。それが最も現れているのが、役員や管理職に占める非「日本人男性」の割合の低さである。つまり組織における多様性が非常に低いのである。

このことは世の中でいうグローバル企業の代表であるロイヤル・ダッチ・シェル、ロシュ、ダノン、IBMあたりと比べると明白である。こうしたグローバル企業では、本社国籍によるのか企業カラーは結構明確だが、その国の出身者かどうか、または性別や宗教などと、組織構成員が出世できるかどうかとは全く関係がない。完全な実力主義である。しかも真に優秀な人材であれば、企業全体最適の観点からグローバル幹部候補生として、多様な文化環境でのリーダーシップ・ポジションを幾つも経験させる。

これは、今のニッポンの総合商社が実施しているような、今の首脳陣の直属の部下だったことで芋づる式に引き上げられて、いいポジションに着き、ヒエラルキーを上がっていく、極めて属人的なシステム(「背番号制」といえば、分かる人には分かるだろう)とは別世界である。

真のグローバル企業とは、その企業のアイデンンティティや価値観は大切にしながらも、その事業に必要な人材やパートナーを世界じゅうから集められ、編集し最適配置できる存在であるはずである。その意味で、ニッポン人男性最優先の「総合商社」という存在はグローバル企業からかなり遠い位置にあるように小生は感じるのだが、如何だろうか。