9月7日(月)に放送されたガイアの夜明けは「世界本格お茶ブーム!陰の仕掛け人たち」。なかなか楽しい内容だった。
舞台は大きく分けて3つ。インドネシアと米国、そしてタイ。世界的な緑茶ブームによって日本からの緑茶輸出額が2000年ごろから急激に増加し、2014年には2000年のおよそ6.5倍の78億円となっている。そんな世界的な緑茶ブームの影にある日本人の奮闘を追ってくれた。
いまインドネシアでは緑茶のペットボトルが大流行。ジャカルタの広場でも、若者たちがみな携帯していた。しかし、日本メーカーのものではない。地元メーカーがシェアの9割を占めているのだ。
そんなインドネシアの緑茶市場に殴り込みをかけるのが、アサヒグループホールディングス。アサヒ飲料は地元で一番愛されるよう「ICH OCHA(イチオチャ)」と名付けた緑茶ペットボトルの製造を始めた。果たして挽回できるのか?しかし普通の営業活動では全く太刀打ちできず、営業成績はさっぱり上がらない。
世界最大のイスラム教国インドネシアには年に一度、ラマダンと呼ばれる約1か月の断食期間がある。そしてラマダン明けの夕方には市民が一斉に食事を一心不乱に取る。その時が一大商戦のタイミングだという。それを狙った、一大営業作戦が始まった。
この様子は番組で事細かに放送された。自宅で家族とラマダン明けの食事をとるためモーターバイクにまたがって帰ろうとする人たちに向けて「ICH OCHA」というブランド名を呼びながら売り込みを始めると、一人、そしてまた一人と買ってくれるではないか。ものの数十分で用意した在庫は売り尽してしまった。恐るべし、「ラマダン作戦」。この調子でブランドを浸透させれば、やがて挽回の足固めもできよう。
一方アメリカでは本格的な「抹茶ブーム」が起こっている。例えば、スターバックスはティーバナというお茶の販売店を買収して全米を中心に300店舗を展開している。さらに、健康志向の高まりにより緑茶はアサイーなどと並んでスーパーフード(栄養バランスがよく健康によい成分が多く含まれている食品のこと)と呼ばれている。
「抹茶ブーム」のそもそものきっかけは1993年に発売された抹茶アイスとされる(ハワイではもっと早く、オバマ大統領が子どものときに大好物にしていたことは有名だ)。それを仕掛けたのが、ロサンゼルスに拠点を構える日本茶販売会社「前田園」の前田拓さん。緑茶を知ってもらう良い方法はないかと考えてつくったのが、抹茶アイスだったという。
そんな前田さんには、日本茶をさらに広めるための次なる計画があった。前田さんがいま取り組んでいるのが抹茶カフェチェーンのアメリカ展開だ。カフェには、前田さんの地元の長崎の企業が協力。たとえばカステラの文明堂、カフェの器を提供する波佐見焼の最大手白山陶器などだ。
その計画を後押しする強力な助っ人が「クールジャパン機構」や全日空。クールジャパン機構は、将来的に抹茶カフェチェーンを世界で1000店舗も展開することを目指している前田さんの事業に2億6000万円の出資を決め、全日空はカフェで自社が制作した映像を流すことで日本への送客に繋げる狙いがある。国をも巻き込んだ抹茶の一大プロジェクトが始まった。
タイの首都バンコク。ここでは不思議な抹茶メニューが沸騰していた。街の屋台で出てきたのは、なんと緑色のごはん。名物「緑茶チキンライス」だ。本物の抹茶を使って作っている。さらに、抹茶カレーを出す店もある。タイでは、抹茶が驚きの進化をしていたのだ。
そんなタイにも、抹茶を広める日本人がいた。島根県松江のお茶屋の4代目・中村寿男さんだ。日本のお茶業界の厳しい現状から海外に活路を見出そうと、2007年に日本茶カフェ「チャホ」をオープン。お店でこだわったのが、本格的に立てた抹茶を飲むことができるコーナーだ。抹茶を味わってもらうとともに茶道の心得やうんちくも教えている。
以前はほとんど知られていなかった抹茶が広くタイ国内に知れ渡ったきっかけは、評判を聞きつけたタイ王室から声がかかり、ソーンサワリ王女に抹茶を立てたことだった。その模様はテレビで放映され、抹茶と中村さんの名は一気に知れ渡ることとなったのだ。
中村さんによると、タイの人々の抹茶の対する反応は日本よりも良いそうだ。今後のビジネス展開について明るい展望が持てると語る中村さんは、タイに続いて他の抹茶未開の国でも抹茶の伝道師になるかも知れない。
世界の緑茶市場の80%は中国製が占める。しかし中国では抹茶はほとんど作られていない。抹茶こそ日本が世界で戦う上での武器になるはず。頑張れ、日本のお茶!