文化大革命の実像はいかなるものだったのか。事実の発掘は中国では全く進んでいない。へたに発言すれば社会的生命のみならず物理的生命さえ奪われてしまうかも知れないのが、中国の怖さだ。
そんな中、歴史を風化させてはならないと語り始めたのが、アメリカ在住の中国人たちである。その証言を伝えてくれたのが、昨年の12月23日に放送されたBS1スペシャル「文化大革命50年知られざる“負の連鎖”語り始めた在米中国人」である。かなり衝撃的な内容だった。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2737014/
その証言からは従来日本のマスコミから伝えられてきた見方とは全く違う実態が見えてきた。文革の恐ろしいうねりを広げたのは、「紅衛兵」とよばれる共産党員の息子・娘である若い知識層ではなく、対立する「造反派」と呼ばれる旧地主層の若者と労働者だったのだ。
当初、紅衛兵の主導する文化大革命の第一波で弾圧・差別された彼らは、ある論文と共産党幹部への反抗を煽った毛沢東の言論により、一挙に社会運動の主導権を握り、各地の共産党幹部やそれまでの主流派を権力の座から引きずり下ろし、既存の社会的権威をことごとく打ちこわしたのだ。
しかも彼らは互いに対立し、分裂し、隣の家族やグループを反革命的だと告発し、罪をなすりつけたという。疑心暗鬼に凝り固まった群集心理(「やられる前に相手をやっつけてしまえ」)が各地で抗争に発展した。抗争は激化し、やがて社会を大混乱に陥れ、多数の死者を生むまでエスカレートしたという。生産停滞どころか破壊が相次ぎ、いわば無政府状態に陥った模様だ。
こうした疑似内乱状態は、そもそも共産党内の権力闘争のためにこの社会運動を指示した毛沢東が「もう沢山だ」と文化大革命の中止を宣言するまで続いたのだ。つまり一人の悪党が権力欲に駆られて始めたことが、当人の意思を超えて国家と国民を長い間苦しめたのだ。毛沢東を暗殺する愛国者が一人も出てこなかったのが不思議である。
それから50年経って、負の連鎖の記憶を後世に残そうと声を上げ始めた人たちがいる。中国内ではなく、新しい生活基盤を米国に作ることに成功した人たちである。彼らの思いがどの程度中国政府に届くのかは分からないが、少なくとも日本を含む外国にはそれを聞くことを邪魔する者はいない。
http://chikrinken.exblog.jp/26552312