政府の少子化対策は「異次元」でも本質的でもない

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(以下、コラム記事を転載しています) **************************************************************************** 

政府の少子化対策は抜本的解決を期待できる範囲・レベルのものではなく、しかもこの視野の狭さは確信犯的だ。真に求められているのは、特に女性たちが安心して早めに結婚と子育てに踏み切ることができる社会構造だ。

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日本政府のいわゆる「少子化対策」の中身と規模感、そして裏付けとなる財源の見込みを見ると、残念ながら抜本的に解決する覚悟が見受けられるものではない。「異次元」というにはあまりに小出しで、あまりに偏っているのだ。

岸田政権が打ち出した少子化対策は、①経済的支援、②サービス充実、③育休強化の3本柱で成り立っている。①はあくまで子育てへの経済的負担を軽くしてあげようという支援なので、これらはすべて「既に子育てに入っている人たちの今の困り事を解決してあげよう」という発想からの施策でしかない。

これで可能なのは、既に子どもを一人育てていて「もう十分」と考えてしまいがちな夫婦に「(先々の経済的余裕に自信が持てるようになれば)二人目の子どもを産み育てるのも悪くないな」と思ってもらう可能性を高めるくらいのことだ。やらないよりはずっといいが、「これで少子化対策はバッチリ」みたいなドヤ顔をされることは止めて欲しい。

この3本柱には、「未婚・晩婚化」と「晩産化」への対策という最も本質的な少子化対策視点が欠けている。すなわち、(1)経済的な不安が大きいため、(結婚したくても)結婚に踏み切れない人たちに「思い切って結婚しちゃおう!」と踏ん切らせる、(2)(結婚はしたけど)「自分のキャリア等を考えると、子どもを産み育てることを躊躇し先送りしてしまう」若い奥さんに安心して子どもを産む気になってもらう、という視点だ。

ではこの「視点の偏り」は、政府関係者および与党幹部がうっかり見落としていたためだろうか。そんなはずはない。政権の中枢にある政治家には中央官僚や学者をはじめとした様々なブレーン、つまり頭脳集団がついている。彼らが見逃すはずがない。つまり岸田政権の少子化対策が「既存子育て集団にだけ焦点を当てている」構図は、かなり確信犯的なのだ。

多分、長年にわたって何やかやと少子化対策をやってきたつもりの(しかもカネで解決することしか発想できない)中央官僚と与党政治家諸氏からすれば、上記の(1)と(2)の課題は(必要性は分かっていても)あまりに根が深くて、「打つ手なし」という認識なのだろう。

さすがに政治的には白旗を挙げることはできないので、既存子育て層にだけ焦点を当てて「やっている感」を出せばいい、と考えたのではないか。つまり「(本当は違うけど名称だけは)異次元の少子化対策」というのは一種のアリバイ工作なのだと解釈できる。

では本当に、真の少子化対策は「打つ手なし」なのだろうか。そんなことはないはずだ。少子化というのは、政治家・中央官僚たちがそこまでの危機感を持たずに安易に問題を先送りし続けた結果に過ぎないのではないか。

この問題解決のためにはまず、様々な政策研究集団や社会問題研究家たちが既に実施している分析に基づいて、「日本がなぜこれほどの少子化社会になってしまったのか?」という構造的要因から振り返ってみるべきだろう。

ずばり、若い世代、特に女性に対し経済的に不利な立場を押し付けてきた、高齢男性による同質的意思決定で固められたアンフェアな社会構造への、女性たちの無言だが怒りを秘めた抵抗が「未婚・晩婚化と晩産化による少子化」という形で出てきているように小生には思われる。

特に女性に対し補助的役割や非正規雇用という理不尽な役回りを押し付け、経済的に苦しい立場に追いやった結果、しかし高等教育を受けた現代女性は(昔の女性たちのような)すぐに「結婚に逃げる」方策はなかなか採らなかった。(上の世代から連綿と引き継がれてきた)男性側の「俺が養ってやるのだから妻は言うことを聞くべきだ」という鼻持ちならない優越意識がまだまだ消えていないことを敏感に感じていたためだ。

特に東京のような大都会で就職した女性たちはぎりぎりまで独身を謳歌した上で、またはキャリア上の機会を追求した上で、でもせめて一度は妊娠・出産したいので、「これ以上先延ばしできない」段階になってようやく結婚するという「精一杯の抵抗」を男性優位社会に対し行使してきたのだ。その結果、彼女たちの結婚年齢と出産年齢は軒並み上がり、一人の子どもを生んで育てるだけで「打ち止め」という状況を多く生じさせたのだ。

しかし彼女たち個々人の抵抗は総体としてはむしろ自分たちに跳ね返って、自らの首を絞める結果になりつつある。現役世代が高齢世代を支えるという年金や介護保険の構造のため、少子化が進むにつれて支える層が少なくなり、若い世代ほど一人当たりの負担は重くなる。

その一方で、彼女たちが本来抗議の意思をぶつけたかった対象である、今の社会構造を固定化させた元凶である高齢男性の元リーダーたちはとっくに引退しており、悠々自適の老齢期を過ごしているか、既に鬼籍に入っているため、少子化が幾ら進展しようと痛くも痒くもない。何とも皮肉な構図だ。

平成不況期を通じてしわ寄せは女性だけでなく結婚適齢期の男性全般にも及んだ。男性も女性も実質賃金が長いこと抑えられてきた結果、そもそも双方の収入を合わせても、子育てできる貯金もなかなか貯まらない、それだけの居住空間を確保することもできない。そんな経済的に見通しの立たない若いカップルが増えており、特に東京などの大都市に多い。そりゃあ子育てどころか結婚にも踏み切れないのも当然だ。

そして何とか結婚に至ったとしても、夫が家事・育児を分担する姿勢を見せない、または夫の職場が分担を許さない環境にあれば、ワンオペ育児を強要させられることを想像した妻が、子どもを持つことを躊躇するのは理の当然だ。

結局、本質的に少子化トレンドを反転させるためには、①若い世代の収入を上げること、とりわけ東京に集まる/留まる必要がないよう地方で若者が世帯を持てるだけの収入を得られる仕事を増やすこと、そして②夫婦が家事・育児をフェアに分担するよう、若い男性の意識とその職場の制度・運用を変えさせること、という極めて当たり前のことを着実に進めるしかないのだ。

確かに、そうした課題には中央の政治・官庁の幹部たちは思った成果を出せていない。だからこそ彼らは「もう打つ手なし」という認識に至っているのだろう。しかしそれは安易な責任放棄というものだし、本当に知恵を絞って思い切った策を採ってきたかというと極めて怪しい。手をこまぬいてきただけでなく非正規雇用の拡大などの悪手を繰り返してきた、過去の政治家と官僚の責任は重大である

三村明夫氏や増田寛也氏ら有識者のグループが「人口ビジョン2100」で提言するように、人口減少に歯止めを掛けるべく、官民挙げて対策に取り組む必要があるのは明らかだ。覚悟を決めて相当抜本的な対策に取り組まないと今の出生率トレンドを反転させることは容易ではないし、2030年までが最後のチャンスだろう。政治的なアリバイ作りにかまけている暇はこの国にはないのだ。

まずは若者たちを苦しめてきた、(一部の政商の言いなりになって安直に拡大してきた)非正規労働の対象・条件をもう一度強く規制し、安易な人件費抑制の手段にさせないことから、国の変革への覚悟を見せるべきだろう。

付け加えるなら、出生数推計の母数となる「出産適齢期にあたる若い女性の人口」が既に大幅に減った現在、単に彼女たちを早めに結婚に踏み切らせて子どもを生む気になってもらうだけでは、今の少子化トレンドに歯止めを掛けるにはもう遅いことも我々国民は理解すべきだ。したがって同時に実施すべきは移民政策であり、外国人居住者を大幅に増やす方策である。このための議論も避けてはならない。