(以下、コラム記事を転載しています) ****************************************************************************
<<利便性と時代の流れを理由に学校へのスマホ持ち込みを安易に解禁することは、日本の子どもたちの精神の健康と脳発達にとって大きな脅威となる。徹底的にその害毒を教え込むことができるか、さもなくば禁止のままのほうがずっとマシだ>>
文科省は最近、学校へのスマホ持ち込み禁止の指針を見直す方針を明らかにした。これに対し賛否両論の意見が紙上・ネット上で飛び交っている。
学習塾大手「明光義塾」が全国調査した結果が懸念の声の代表だろう。約6割の保護者が学校へのスマホ持ち込みに反対したそうだ。
その反対理由は、1位が「トラブルの原因になる可能性があるから(79.1%)」、2位以下が「学業の妨げになるから(57.8%)」、「ながらスマホなど事故に繋がる可能性があるから(43.4%)」と続く。新聞の社説やテレビなどでの識者たちも似たような論拠を挙げているケースが多いようだ。
一方、賛成の理由は、1位が「緊急の時の連絡手段に必要だから(83.3%)」、次に「防犯対策として必要だから(50.4%)」、「授業中など使ってはいけないタイミングを子どもが理解しているから(31.8%)」と続く。
ネット上の「賛成派」の識者たちの一部はもっと過激だ。いわく「このネット時代にまだ禁止していたのか、時代遅れだ」「むしろスマホの効果的な使い方を積極的に学校で教えるべきだ」などとスマホを学校に持ち込ませるよう促す。
ここにはある重要な「知識」に根差した「視点」がすっぽり抜けている。それはスマホの使い過ぎが子どもたちの精神の健康にとって害毒になり、発達途上にある彼らの脳をむしばんでしまうリスクがかなりあるという「知識」であり、それをきちんと教え、如何にそのリスクを避けるべきかという「視点」である。
ここで指摘するリスクは現実的な脅威で、学校に中途半端にスマホを持ち込ませれば、多くの生徒がスマホ依存症になってしまうという事態をまず懸念しているのである。もちろん子供たち全員とは言わない。しかしごく普通の家庭の子どもたちがこのリスクにさらされるということを文科省ならびに父兄たちは認識すべきだ。
実はスマホ依存症は既に一般社会で拡がっている。スマホ依存症とは、スマホが手元にないと落ち着かない、メールやSNSを必要以上にチェックする(すぐに返信しないといけないと考えてしまう)といった症状だ。
https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/mentalhealth/mental/smartphone_dependence/index.html
スマホがあまりに便利で生活に密着しているため、大の大人でさえ仕事や家事の合間や移動時間中に、スマホに首っ引きになっている人が随分多いのが現状だ。これはスマホ依存症への近道だ。
ゲーム依存症の場合は本人も周りもその異常さに気づきやすいので抑制力も働こうが、スマホ依存症の場合はスマホから情報を得ているだけと捉えられてその深刻さに気付きにくい。
しかしこの依存症患者は近年急増しており、総務省の調査では「特に思春期青年期年代でスマホ依存傾向が高い」という結果が出ている。ましてや小中学校へのスマホ持ち込み解禁になると、まだ自我が確立していない年齢ゆえに周囲に影響されてスマホを手放さない子どもたちが増えるだろう。
放っておけばかなりの割合の生徒が四六時中(家でも学校でも登下校時でも)スマホを使うようになり、スマホ依存症の子どもが急増する懸念が強いというのは全然うがった見方ではないだろう。
そしてスマホ依存気味になると、恐ろしいことに脳の機能が低下し、注意力も学習能力も低下してしまうことが、幾つもの研究や患者急増の事実から裏付けられている。「スマホ脳過労」とか「オーバーフロー脳」とか、「スマホ認知症」などと呼び名はまだ定まっていないが、既に脳神経科医の間では既知の症状だそうだ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4249/
https://www.j-cast.com/tv/2019/02/20350802.html?p=all
要はスマホの使い過ぎで脳が「ゴミ屋敷」状態になってしまうのだが、この症状は年齢には関係なく、アウトプットに比べインプットが過剰に行われることで進行するとされる。
学習によるインプットが続きやすい子どもたちが、スマホ依存になってさらに情報を過度にインプットする生活を続けると「スマホ脳過労」に直結しやすいのだ。
つまり学校へのスマホ持ち込み解禁→スマホ依存症の危険増大→「スマホ脳過労」の発症という構図だ。よかれと思ってスマホを与える親の行為が子どもの脳と学習能力を衰えさせるという皮肉な結果を生みかねないのだ。
ではどうすればこのリスクを極小化できるのか。ズバリ、「スマホ持ち込みの解禁」前に徹底的に子供たちにスマホの使い過ぎに伴う害毒(スマホ依存症、「スマホ脳過労」化)と、それを避けるための適正なスマホとの付き合い方を学校で教え込むしかない。
そのためには教師がスマホ(およびPC)による依存症や「スマホ脳過労」化の問題を十分理解、腹落ちした上で熱を込めて対処法を訴えないと、好奇心旺盛で注意散漫な世代の子どもたちには浸透しないだろう。
教師による強烈な「警告と指導」の結果、各々の家庭で、スマホとPCを使い過ぎている親に対し子どもが警告を発するという逆指南の構図が起きるくらいでちょうどいいのではないか。
しかしもし、文科省が及び腰になるか、学校現場が「これ以上ややこしいことで教師の負担を増やしたくない」と言い訳するなどして、こうした「スマホ使い過ぎの恐ろしさ」と「適正なスマホの使い方」を学校で徹底して教えることができないならば、むしろ小中学校でのスマホ持ち込み解禁は絶対にすべきではない(理屈が分かって自制心が育ったはずの高校生以上になれば、上記のリスクをよくよく説明してからルールを決めて持たせるのは構わないと小生は考える)。
ニッポンの宝である子どもたちの精神と脳をむしばむ害毒を制御なしに学校現場に持ち込むことは国家の自殺行為に近い。大げさだと思う人は笑えばよい。しかし心ある人は戦慄すべきだ。
万が一中途半端な学校スマホ解禁という事態になったら、各家庭は自衛すべきだ。もし「緊急の時の連絡手段」または「防犯対策」として必要だからという理由でスマホ持ち込みに賛成されているのなら、お子さんにはフィーチャーホン(ガラケー)を持たせるだけで十分だろう。可愛い我が子の脳と精神を守るためによくご考慮願いたい。