地域再生リーダーの覚悟と率先垂範は旅館でもスキー場でも同様

ビジネスモデル

ここ数年、地方に根差す金融機関や行政、それらと深い関係を持つ企業と時折、地方再活性化のやり方について案出しをしたり、議論をしたりする機会が増えている。

「○○総研」の連中のように一律の答などを用意しておくわけには意地でもいかないゆえ、その地域にしかない自然や伝統が持つ「ストーリーに根差す価値」に注目してもらうようにアドバイスすることが多い。いずれにせよ地域の人たちが脳と体に汗をかいて「オラが街」のために力を尽くすしか本当の町興しはありえないと思う。

そんな中、テレビ東京のカンブリア宮殿で興味深い放送が続いた。2月18日放送の『温泉街を一変させた老舗宿のアイデア主人!地域の歴史と個性で世界の客をつかめ!』と、2月25日放送の『斜陽産業にチャンスあり!異色のスキー場再生請負人』だ。

前者の主人公は、神戸近郊の有馬温泉の老舗旅館『御所坊』のご主人、金井啓修(かない ひろのぶ)氏だ。有馬温泉は長い伝統があるが、バブル崩壊で客足が低迷、一時、宿泊客は年間100万人にまで落ち込んでいた。それが今や170万人を超え、以前皆無だった日帰り客も多く押し寄せている。この大逆転の仕掛け人が金井氏だ。

20代の頃は画家志望。しかし一念発起して故郷に戻ってからは低迷する家業を復活させるために戦略的に考え、あらゆる努力を尽くした。当時全盛だった大規模旅館で団体客を狙うのではなく、個人客にターゲットを絞った大改装に乗り出す。谷崎潤一郎や吉川英治など、宿に泊まった文人の書などを展示し『御所坊』にある“物語”を付加価値としてアピール、単価の高い宿に一変させたのだ。

そんな経験を経て、低迷していた温泉街再生のリーダーとして注目を集めるようになり、有馬に眠る様々な物語を発掘し、観光資源に変えていった。喫茶店にベーカリー、和風ホテル、アロマ、おもちゃの博物館まで、町中に様々な施設を作り上げ、ひなびた路地にすぎなかった温泉街の通りを大賑わいの散策路に一変させ、街に活気をもたらしたのだ。

地元の人たちが彼に感謝する言葉が印象に残った。「自分の旅館のことだけでなく、有馬全体としてどうあるべきかを常に考えていてくれる」と。地域のリーダーとはこういう人たちだ。体を張り、知恵を使い、まず自分が動く。そして見本を見せて周りを巻き込むのだ。

後者の主人公は、(株)マックアースの代表取締役、一ノ本達己(いちのもと たつみ)氏だ。スキーは斜陽産業と言われる中、次々と不振のスキー場を再生させているのが同社だ。初参入から、わずか8年で日本最大のスキー場運営会社になった。

元々は、兵庫県ハチ高原で家業のスキー場のロッジを経営していた一ノ本氏は国体のスキー選手でもあった。小学生の合宿に力を入れ、夏は自然学校、冬はスキー教室を営んでいた。「自然を売る」と決断した結果だ。他のホテルがバブル期に若者相手に商売し、スキーブームの終焉で売り上げを激減させる一方で、学校相手の商売が幸いして、一ノ本氏のホテルの売り上げは伸び続けた。スキーに対する造詣の深さとその経営手腕が評価され、「不振のスキー場を再生して欲しい」との依頼が飛び込むようになったのだ。

一ノ本氏の再生術は、「雪が降れば客が来る」と殿様商売だった普通のスキー場とは違う。各スキー場の個性を際立たせることだ。札幌市郊外にある「スノークルーズオーンズ」がその代表。札幌近郊にありながら規模が小さく、廃業が決まっていた。そんな中で再生に乗り出した一ノ本氏は、競合する大規模なスキー場と差別化するため、フォットネスクラブ代わりに使ってもらうため、6万円だったリフトのシーズン券を3分の1に下げたところ、販売数は5倍以上になった。

岐阜の「ダイナランド」では、毎晩11時までナイター営業に踏み切り、今シーズンからは30万個のLEDを使ったイルミネーションを始めた。新たな感動を作ることが、スキー場に再び人々を惹きつけるのだ。

一ノ本氏は言う。「産業がない山間地域にとってスキー場ほど貴重な観光資源はない」「元々出稼ぎ地帯だった地域からスキー場を奪ってしまっては地元に職はなく、地域は崩壊してしまう」と。この危機感と使命感が、彼の信念の積極策につながっているのだと思う。