ピザーラ創業者の人生は「七転び八起き」そのもの

ビジネスモデル

11月14日放送のTV東京「カンブリア宮殿」は、日本の宅配ピザチェーンNo.1、ピザーラを運営する「フォーシーズ」の代表取締役会長、淺野秀則(あさの・ひでのり)氏を採り上げていた。淺野氏の天国と地獄を往復した人生の凄まじさと執念に感動した。

日本の宅配ピザ市場は2500億円に達し、年々成長を見せている。そして「ピザーラ」は“日本生まれ”。海外から上陸した大手宅配ピザチェーンを追い抜き、創業からわずか10年で業界1位にまで成長した。今やダントツである(ピザーラ417億円、ピザハット243億円、ドミノ・ピザ215億円)。日本人の舌に合わせた「てりやき」や「マヨネーズ」、「ネギ」などを使ったピザなど、次々と業界初の独自メニューを生み出してヒットさせてきた。

番組では、味と食材にとことんこだわる独自の商品作りを一部紹介していた。トマト(缶詰モノは使わず熊本産の完熟したもの)やマッシュルーム(通常のホワイトではなく、ブラウンという少し高いが風味のよい種類)などの野菜は契約農家から仕入れたものを店でカットする。野菜のカットの大きさや並べ方と個数など、トッピングはすべてメニュー毎に厳密に決められており、すべて6分(だったか?)の焼き上がりでベストになるようにすべてのメニューが設計されている。オーブンも全て同じなので、どの店で注文しても同じ味のピザが届けられる。

そしてピザは注文が入ってから生地を1枚ずつ手で伸ばすなど、徹底して品質にこだわっている。さらにピザ生地は老舗のパン屋(1933年創業の浅野家)から調達するのだが、小麦粉はピザーラ専用のものを指定され、通常の宅配ピザチェーンでは考えられない“生きたイースト菌”を使用して低温で発酵させることで余計にうまみがでるようにしている。ピザーラ創業時からピザソースは1950年創業の山屋食品。玉ねぎとニンニクに他所よりも長く火に掛けることで玉ねぎの甘みを引き出しており、幾らでも食べられる美味しさを誇る。コストを優先せず、味を第一に貫く姿勢がそこにはある。

「フォーシーズ」は、「ピザ」だけでなく、ミシュランで3つ星に輝く「ロブション」から「でんがな」という立ち飲みスタイルの居酒屋まで、話題の店を次々とオープン。抱える業態は42を数えるという(多分、外食チェーンの中でも最多ではないか)。これは業態の盛衰や好不況での波があっても売り上げが大きく落ち込まないようにという経営リスク対策である。それはフォーシーズ自身にとってだけではなく、むしろFC店オーナーの経営が安定するようにという意図もあるという。

こうした発想を同社が持つようになったのは、創業者たる淺野氏の波乱に富んだ人生経験が反映している。氏は製紙メーカーの3代目として裕福な家庭に生まれたが、高校生の時、父親が倒れて、会社は人手に渡る。慶応義塾大学商学部卒業後、大日産業に入社するが、三ヵ月で退社。自ら事業をおこそうとレンタルビデオ店、ウーロン茶の輸入業、喫茶店、ラーメン店などを始めるが、全て失敗したという。特に最初期は、父親が入院中に自分が始めたレンタルビデオ店は10日ほどで火事に遭って焼失。その時、火を消そうとして大やけどを負い、まるまる借金が残る。やがて母親も亡くなる。さすがにこの時は「自分ほど運の悪い奴はいない」と嘆いたそうで、当時の写真での氏の表情は、これ以上ないというほど暗いものだ。

転機になったのが映画『E.T.』に出てきたピザのシーン。それを見て、日本では根付いていなかった「宅配ピザ」の開業を決心する。このあたりの行動力が凄いし、よく資金があった(または借りられた)と思う(そのあたりは番組では掘らなかったのは残念)。

同様に凄いのは夫人。事業はいつも夫婦2人でやっていたし、ピザ配達の1号店も同様だった。運転もできないのに(旦那が遠い地区への配達から帰ってくるのが遅れたため)自らバイクで配達しようと転び、10針縫うケガをしたのに、旦那が帰ってきたときには片足で立ちながらピザを作っていたという。旦那さんも凄いが奥さんも凄い。この伴侶と執念があったからこそ成功したのだと納得させられた。

だからこの人の「金言」は重い。いわく「やらずに失敗するのと、やって失敗するのでは雲泥の差。やって失敗したら、次は成功する可能性が高い」「僕は11回目で成功できた。(物事は)やってみなきゃ分からない」と。