(以下、コラム記事を転載しています)
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前政権のアベノミクスが今一つうまく回らなかった大きな要因は、「トリクルダウン」に期待してか成長戦略を粘り強く追求しようとしなかったことにある。新政権は前車の轍を踏んではいけない。
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菅新政権には、「(コロナ禍で大変な時なので)安倍政権の路線を継続して欲しい」という声も強いが、同時に安倍政権では十分踏み込めなかったテーマとして「省庁の縦割り打破」や「規制改革」に期待する街の声も多く見られる。
ここで前政権が何を達成できて何をやり残したのかを振り返っておくことが有効だろう。その中から、(短期的には間違いなく「コロナ対策」と「景気対策」の両立のはずだが)中長期的に見たとき新政権が本当に重点的に取り組むべきものは何かが見えてくるはずだからだ。
端的に言えば、前政権が高らかに掲げた看板政策「アベノミクス」、すなわち1)大胆な金融政策、2)機動的な財政政策、3)民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」のうち1)と2)はかなり強力に推進実行された。その相乗効果もあり、政権発足前の日本を襲っていた超円高は転換され、輸出企業を中心に企業収益は改善され、大幅な株高が投資家たちの懐を潤わせた。
しかしその後に続くはずの3)成長戦略は結局のところ不発のまま終わってしまった。本来なら規制緩和とイノベーション支援など、民間投資を促進させる策を次々と繰り出してこそ、世のデフレ心理を転換させ景気循環を改善させる動きにつながるはずなのに、有効な策を打ち出せなかったのが実態だ。
つまり「成長戦略」こそがアベノミクスの中核本体部分であり、「金融政策」と「財政政策」はそのための導火線という位置づけだったのだ。そしてその中核本体部分に火が灯かないままに前政権は終わってしまった。
本来なら粘り強く規制緩和と民間投資を促進させる策を講じるべきところだったが、なかなか「成長戦略」の成果が上がらないことに業を煮やしたのか、安倍政権はしばらくすると「成長戦略」の部分を色々と看板を掛け替えて(「一億総活躍」やら「働き方改革」など)目新しさを維持しようとし、どれも中途半端に終わってしまったという印象がある。そのため「成長戦略」の面では一向に成果が上がらず、結果的にアベノミクスは本格的な景気回復と日本経済の成長というシナリオにはつながっていないと総括せざるを得ない。
それでも政権への期待を持たせるためか、それとも本当に政権担当者たちが信じていたのかは定かではないが、政権周辺から放たれた挙句、当時の世の中でもてはやされたキーワードがある。それが「トリクルダウン」だ(大いにはやし立てたのは当時政府ブレーンとされたT中氏とH田氏だったと記憶している)。
すなわち、富裕層が潤うことで彼らが様々なものに再投資したり散財したりしてくれることで世の中の金回りがよくなるとされた。また、その亜種の説では、大企業が儲かることで取引企業にも恩恵が伝わり、企業収益全般がよくなることで従業員の賃金が上がり、世の中の景気がよくなる、ともされた。
この2種の「トリクルダウン」仮説は様々な(伝統的なものとオンラインの両方の)メディアを通じて安倍政権の政策の正統性を誇示するものとして流布していた記憶がある。つまり、成長戦略がすぐには効果を発揮しなくとも、「大胆な金融政策」と「機動的な財政政策」が景気回復をもたらすので、いずれ多くの国民が経済的メリットを感じるようになる。だから安心して経済活動に励んでしっかり消費もしてね、というメッセージだったのだろう。
しかし「トリクルダウン」という考え方は今や完全否定されたも同然だ。
まず大企業の話からしよう。収益がよくなっても、外人投資家の比率が増えた日本の大企業の多くは内部留保に励むのと株主還元に回すのを優先し、毎年の官製春闘で政府に圧迫されないと従業員への還元には随分と渋い体質に変質してしまっている(記事を参照されたい)。残念ながら西欧資本主義の悪い部分だけを学んでしまった経営者が多いようだ。景気が回復したときでもこうなのに、今後景気が悪化したらどうなるのか大いに懸念される。
そして「富裕層が(株高や減税で)潤うと、水がしたたり落ちるように順々に世の中を潤す」という本来の「トリクルダウン」説はどうかというと、元々経済理論として間違っているとしか言いようがない(そもそも理論としての体系なぞ最初からないのではないか)。
「トリクルダウン」説のポイントは、「いろんな生活層に満遍なくお金を配るよりも富裕層を中心に配ったほうが景気対策としては効率的・効果的だ」ということのはずだ。つまり他の生活層よりも富裕層のほうが高い乗数効果を持つ、と主張するものだ。しかしそんな実証研究はどこにもないし、実感としてもあり得ない。
乗数効果というのは端的に言えば、「政府が特定の人たちをターゲットとした経済政策で一定のおカネをばらまいたとしたら、その結果どれほど世の中のカネ回りに貢献することになるか」という経済政策の有効性を表す数値だ。直接的な政策対象の人たちが受け取るおカネのうち使う割合が大きければ大きいほど、そして使う速度が早ければ早いほど乗数効果は大きい。
実際のところ富裕層の乗数効果は世界的にも高くないが、特に日本では低いとされる。世界のどこでも共通して、お金持ちは一人当たりの獲得する額が多い割に、そのカネを使いたくなる対象や散財の場は限られており、投資に回すのもタイミングを見るため使う速度が遅くなる。しかも日本人富裕層は周りの目を気にして、世界標準の富裕層のような豪快な散財(豪奢な別荘、派手なパーティなど)をする人たちは限られているという調査もある。
むしろ乗数効果が間違いなく高いのは低所得者層だ。なぜなら彼らは「その日暮らし」という言葉にあるように、獲得したお金を右から左に使ってしまわないと生活できないからだ。つまり手元に入ってから使うまでの速度が無茶苦茶早く、使う割合も圧倒的に高い。
「トリクルダウン仮説」の罪なところは理屈的に間違っていることだけじゃない。それを隠れ蓑に、本来粘り強く追求すべきだった規制緩和やイノベーション支援策は中途半端に終わり(省庁によってはむしろ逆方向に転換し)、政権中枢において「成長戦略」路線の看板を誰も真剣に掲げなくなったことだ。
そうした経緯を反省するならば、新政権には是非、成長戦略の徹底追及と併せて、社会経済の上層部分ではなく下層部分に優先的におカネを回す策を考えていただきたい。生活保護世帯や一人親世帯のように生活に困っている人たちへの経済的支援は乗数効果の高い、有効な経済政策なのだ。社会経済の下層に位置する彼らは、おカネが手に入れば生活のためにすぐに使ってくれる。それがすなわち世の中のカネ回りをよくし(=景気をよくし)、日本経済の成長につながるのだ。
その意味で、コロナ騒ぎの最中に自民党が進めようとした減収世帯への30万円の現金給付(「生活支援臨時給付金」)は正しい政策だった。与党・公明党の圧力で実行することになった(全国民に1人当たり10万円を給付する)「特別定額給付金」は、将来不安に脅える多くの一般世帯で使われないまま国家財政をさらに痛ませる結果となっており、数年後には冷静になった識者・国民から「なぜあんな馬鹿なことをしたのか」と非難されるだろう。
話を戻そう。中央官僚の人たちには、菅首相の「自助」を先決させる言葉を間違って忖度することで、社会的弱者を切り捨てるような政策には決して踏み外していただきたくない。それは政府の役割を放棄するも同然の所業だ。
また、新政権が改めて「成長戦略」を追求しようとしていることは感じられる。そのためにそれを阻害する規制を緩和・廃止し、省庁間の縦割りの弊害を減らそうとしていることも。その際、間違っても前政権のように「トリクルダウン」の幻を追わないよう願いたい。
心配しなくとも富裕層にはその先、どうしたっておカネは回っていく仕組みに、世の中はなっている。つまり残念ながらこの世の真実は冷酷で、「トリクルアップ」になっているということだ。