ゴルバチョフ-エリツィン-プーチンに続く歴史の皮肉

ブロググローバル

ウクライナでの戦争が半年を過ぎました。その終結どころか停戦の兆しさえ見えない中、旧ソ連の最後の大統領、ミハエル・ゴルバチョフ氏死去の報が全世界を駆け巡りました。


本来なら忘れ去られた存在だったかも知れませんが、直近の「プーチンの戦争」のせいで、冷戦を終わらせた氏の偉大な功績が民主国側の人々には思い起こされ、その勇気を懐かしく語るという皮肉な状況になった次第です。


一方で、ロシア国内ではゴルバチョフ氏は「亡国の徒」として庶民から嫌われているのが実情だそうです。ソ連の崩壊に対し無策で、「我が家は散々な目に遭った。すべてはゴルバチョフのせいだ」といった感じでまくしたてる一般人の姿が当時も今も報道されています。


もちろん、同じロシア人でも知識人になると評価がまったく違っており、「ソ連の体制は限界に来ていた。誰が大統領だったとしても難しかっただろう」と冷静に評価しています。仮にゴルバチョフが2代ほど前の時点で大統領に選ばれていれば、ソ連の再建は可能だったかも知れないのです(そうなっていたら東西対立は継続したかも知れません)。


むしろ、その後にロシア大統領となったエリツィンのかじ取りのまずさ(というか無知と怠惰)と、西側諸国の横暴さと強欲さそして冷戦時代に積み重なったロシアへの敵意が、ロシア経済をして資本主義の荒波に揉まれるままにし(資本を投下するどころか資源も人材も安く吸い上げました)、ロシア国民に塗炭の苦しみを味わわせることになったのです。決してゴルビーのせいではなかったはずです。


そして大多数の国民にとってのその苦難の記憶が、プーチンの台頭とその強引なKGB的政治手法を許してしまったのです。その主たるものは、虚偽のプロパガンダによる政敵や外国の貶め、メディアへの介入・弾圧、秘密警察と犯罪集団を使った脅しと暗殺など、「何でもあり」です。今や国民皆が監視状態に置かれており(中国や戦前の日本と同じ)、戦争反対を叫ぶことが罪になるという状態です。

もしゴルバチョフが2代前の時点で大統領に選ばれていれば、もしエリツィンがあんなに飲んだくれでなかったら、もしエリツィンがプーチン以外の後継者を決めていれば、…と歴史というものは「イフ」の巡り合わせだと、つくづく思います。