どん底を知る経営者たちは何をも恐れない

ビジネスモデル

9月24日に放送されたカンブリア宮殿は10周年記念の「波乱万丈スペシャル~あの時があるから今がある~」。10周年を迎えたカンブリア宮殿では400人を超えるゲストが様々なエピソードを披露してきた。今回の放送では、紹介しきれなかった珠玉のエピソードを選び抜いて見せてくれた。

スタジオには2人のゲスト。ニトリホールディングス社長の似鳥昭雄(にとり あきお)氏と、ハイデイ日高の会長、神田正(かんだ ただし)氏。どちらも本編を観たが、魅力的なじいさん2人だ。

全国に367店舗を展開する家具・インテリアの「ニトリ」は年商4173億円の巨大企業。北海道で育った似鳥氏は、子供の頃は常に劣等生、若い時分も勤めが長く続かなかったダメな若者だったという。

23歳の時、自分で商売するしかないと思い、札幌市内に家具店を出店。店の名は「似鳥家具卸センター 北支店」。卸センターは「広くて安い」、支店は「本店がある」と客に思わせるための、似鳥氏のちょっとせこいアイデアだ。

しかし何と対人恐怖症のため、商売はうまくいかず赤字が続いたという。しかし結婚後、妻の百百代さんは愛嬌があって客に好まれ、そのおかげで売上げは倍増した。その頃のエピソードは笑える。夫婦で客に配達に行った際、運転席で待つ妻を残したまま、美人の客に勧められるまま2時間も飲み食いしていたため、似鳥氏は後で百百代さんに土下座する事態になったという。

その後、2号店を出店したが、当初は繁盛したが、2年後ライバル店の出現で売り上げは激減し、倒産の危機に追い込まれる。追い詰められた似鳥は、毎日、死ぬことばかり考えていたという。そんな似鳥にアメリカの家具視察の話が来る。そこで初めて今のニトリにつながる「しゃれた家具を安く」というビジネスモデルを思いついたのだという。しかし、倒産の危機のさなかに米国視察をする気によくなったものだと思う。

4号店を出店する際は、資金が無いためエアドーム型の店舗を計画する。しかしオープン当日、大雪のため店が潰れ、商品はほとんど損傷してしまう。しかし似鳥氏は、めげることなく「傷物 半端物大会」と称し半額で売り出した所、大盛況となった。アウトレット方式で切り抜けた訳だ。

今や日本を代表する大チェーンを築いた、波乱万丈の経営者は次のように言う。「人生は冒険であり、アドベンチャーだ。」と。

「熱烈中華食堂 日高屋」は首都圏を中心に約370店舗を展開している。年商344億円のラーメンチェーンを一代で築き上げたのが、ハイデイ日高の会長、神田正氏だ。彼の回については前にこのブログで取り上げたので、ここでは繰り返さない。
http://pathfinderscojp.blog.fc2.com/blog-entry-494.html

今回、神田会長が言った言葉で印象に残った言葉は、「大抵の人(ほかの経営者)はあと少しのところであきらめちゃうんだよね」。なるほどこの人の後半生は本当に粘りだったんだなぁ。彼は朴訥とした調子で言う。「順風満帆な人生なんてつまんないですよ。波乱万丈でいろいろあった方がいいよ」と。

その他に紹介されたエピソードの中で強烈な印象を与えられたのが幾つかある。例えばドトールコーヒー創業者の鳥羽博道氏。父子家庭で商売を手伝い、家計もやりくりしていたが、高校時代に父と口喧嘩。日本刀を振り下ろされて逃げ出し、着の身着のままで上京。それが結果として、この人の成功を導き出したのだ。

最後に、壱番屋(カレーハウスCoCo壱番屋)創業者、宗次徳二・直美夫妻。夫婦とも凄い生い立ちだ。夫・徳仁氏の幼少期は、道に生えている草を食べるほど極貧。妻も、父が10歳で亡くなり、親類に預けられる。その貧しさやみじめさを繰り返したくない2人は、家庭の味を追求したカレーと、家庭的暖かさを信条とした経営で、一大カレーチェーンにまで作り上げたのだ。こちらも強烈な人生だ。