『For Japan』シリーズ(6月放送分)「健康とは経営である」#9

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私が参加しているABEMAの討論番組『For Japan~日本を経営せよ』では毎回の収録(翌月の放送4回分)において一つのテーマが決まっている、というお話を以前にもしました。今週は、私が参加した6月放送の第9~12回の「健康とは経営である」についてどう考えたかをお伝えしたいと思います。

※よろしかったら『For Japan』の見逃し配信をご覧ください(ABEMA本編は放送が1回30分と短いせいで、肝心な発言はカットされ、変な箇所だけ放映されるという無茶苦茶な編集がされるので、見て欲しくないです)。


 ♯9【心の健康を経営せよ!】


株式会社G-LOTUS代表 古橋 慶樹さんのお話がまずあります。★題して「 バットで頭、殴られていました 」。

  • 大学4年まで野球に専念する中、(今では良くないと思うが) コーチの先輩の理不尽を受け続けてきた。
  • 良くないことだが、そこで得た忍耐力は今では大切な力
  • 忍耐力があるから周りの空気を壊さないよう「ヘラヘラ」することができる。
  • 結論→あって良いパワハラとダメなパワハラがある。 →成長を促す(器を広げる)パワハラ(圧)は必要。


それに対し、私は違う角度から突っ込みました。

  • (手を挙げて)やっぱり、パワハラは理不尽なもの。許しちゃダメ。もちろん、パワハラに耐えることができた人が自分を褒めることはOK。「よくその怒り・恨みをネガティブな行動に移さずに堪えたね」と褒めてあげたい。ただ、古橋さんはタフな人で、それを乗り越える強さがたまたま備わっていた。でも必ずしも皆がそうではない。そこから逃げるしかない人、鬱になるとか、重い病気になってしまう人だっているかも知れない。

  • 「厳しい」指導・教育と、「理不尽な」パワハラとはまったく別もの。短期間で急な上達を望む場合、またはとんでもなく高いレベルへの上達を望む場合、プレッシャーを掛けるなどの「厳しい」指導・教育は、一概に否定すべきではない。でも後者すなわちパワハラは理不尽さゆえに、絶対的に許されざるもの。それは指導力の欠如を物語るもので、指導者は恥ずかしいと思わねばならない。

  • 私は大学院でテキサス大学に留学したが、全米有数のスポーツ有名校。そこでは未来のオリンピアやプロスポーツ選手候補がわんさかいるが、それ以上に凄いのは指導者達のスキル。彼らはハイテクマシ―ンで計測されたデータを基に、アスリート達がいかに怪我無く着実に上達するよう、しかも自分から進んで極限まで挑戦するようにモチベートする、見事な言葉の掛け方ができるコーチング術のプロばかり。それに比べ、日本のコーチング術はまだまだ「根性論」優勢の「ひよっこ」だと感じた。


続いて2人ほどのお話のあと、株式会社オーガンテック 代表の近藤 嵩さんの話がありました。題して★「ストレスを悪者にするな」。

  • 理不尽やストレスになることは悪いだけではない
  • →相手に与えるストレス、負荷に目的を持って⾏うことが成長につながることも必ずある、日本は全てにおいて過保護で抗菌すぎる。
  • 悪いものをなくそうとするが、存在するものであることを認識して良いように利用できるように考えるべき。
  • 結論→ ストレスをコントロールできる社会を作るべき


これに対し私はこう考えました(当てられませんでしたが)。


  • 「ストレスをコントロールできる社会を作るべき」との結論はまったく同意。「日本は全てにおいて過保護で抗菌すぎる」という部分もそう。でもやっぱり、理不尽なパワハラと、ストレスを与える「厳しい」指導・教育とは、混同されてはいけない。ちゃんと線引きしないといけない。

  • 先ほども言ったように、「厳しい」指導・教育は、一概に否定すべきではない。人によっては、または場面によっては、適度なストレスを与えることは有効。それをTPOによって正しく使い分けることができて初めて指導者としてプロといえる。

  • では理不尽な「パワハラ」と「厳しい」指導の境目は何か。一つには指導者に愛があるかどうか。二つにはその行為が合目的的かどうか。たとえばスキルの上達と無関係な嫌がらせ(例えば人格的な攻撃)をされたら、その憤懣はスキルの上達には向かわず、恨みに向かってしまう。建設的ではないからダメ。

この週は以上でした。



次回に続く