今日は一日眠不足が堪える日だった。未明の「なでしこvsフランス」の戦いを観ていたせいだ。4年に一度の祭典である上に、男女ともメダル獲得に成功する予感がしているものだから、(年も考えず)無理をしているのである。高校生の娘も同じように起きており、今年が受験の年でなくて本当によかったと感謝している。
それはさておき、前述のバドミントンの「負け狙いによる失格」騒動に関連して、「なでしこ」佐々木監督の1次リーグ最終戦での「引き分け狙い」発言が色々と批判されている。同様にスポーツマンシップに劣る行為だという批判であるが、小生は違うと思っている。
佐々木監督の狙いは、グループ2位通過により決勝リーグ初戦を近くの会場で戦えること、つまり選手のコンディション維持だったという。それを理由に佐々木監督を擁護する人もいるかも知れない。しかし別段、その狙いが「米国もしくはフランスと決勝リーグ初戦で当たることを避けること」でも非難されることではないと小生は思う(もしそういう理由なら非難されるべきというニュアンスの意見が多いようだが)。肝心なのはそこではない。
佐々木監督が選手に指示したのは「わざと負ける」ことではなく、「勝ちにいかない」「引き分けで終わる」ということであった。サッカーは「引き分け」という決着があるスポーツである。決勝リーグだと無理やりPKで決着させるが、1次リーグでは引き分けのままである。試合は確かに必死さやスリリングさに欠けたもので、観客にはちょっと退屈なものだったかも知れないが、ぶち壊しではなかった。つまりルールとして、戦略として許される範囲である。
もしこれが「わざと負ける」ことを監督が指示し、その通り選手が実行したのだったら、失格になっても文句は言えない。当該のバドミントンの試合を観れば分かるが、「負け狙い」の試合というのは一方的に手を抜くので、スポーツの試合とはいえない。しかし「引き分け狙い」というのは双方がちゃんと対峙して相手に点を入れさせないように防御するため、高度な技術を尽くさなければいけないため、試合として成り立つのである。そう、「負け狙い」と「引き分け狙い」の間には、埋められない大きな違いがあると思う。
それにしても佐々木監督がその狙いをマスコミに公表する必要はなかった。特に試合前には。選手のやる気を削ぐし、今回のように議論になるのは避けられない恐れを考えたら、無言を通すべきだ。それがリーダーのあるべき姿ではないか。