「格差社会」と幸福度の関係

グローバル

NHK Eテレの「スーパープレゼンテーション」という番組が好きで、録画してよく観ている。巧手たちのプレゼンを参考にするつもりで観始めたが、今ではその内容に惹かれることが多い。

今までで特に衝撃的だったり感動したりしたテーマには:
– ジル・ボルティ・テイラー「脳卒中を語る」
– スーザン・ケイン「内向的な人のパワー」
– パティ・メースとプラナフ・ミストリー「”第六感”開発中」
などがある。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/

つい最近観た中ではリチャード・ウィルキンソン「格差が社会に及ぼす影響」が衝撃的だった。趣旨はこうだ。先進諸国間で比較すると、犯罪など社会問題の発生率、不健康の度合い、自殺率など、社会の幸福度に関する様々なデータを調べてみると、絶対的な社会の富裕度、例えば国民総所得などと幸福の度合いとは無関係である。むしろ同じ社会における格差の大小こそがそうした幸福の度合いに相関する度合いが圧倒的に大きい。つまり富の分配こそが、格差をなくし、国民の幸せにつながるということだ。

この点は最近、日本でもブータンのような国をうらやましがるような風潮があり、何となく感じている人が多いと思うが、データで裏付けられたのは感心した。プレゼンでは、日本や北欧は富裕層と貧困層の格差が小さく、英国や米国は大きいことが強調され、前者グループのほうが後者グループより望ましい存在であることが印象づけられた。風潮があり、何となく感じている人が多いと思うが、データで裏付けられたのは感心した。日本に住んでいる我々にはピンと来ない(「隣の芝生は青く見える」)が、確かに英米のギスギスさよりはましかも知れない。

ただ幾つか問題はある。北欧は元々の収入格差が大きく、それを税金等により再配分することで格差を縮小させている民主社会主義であるのに対し、日本は収入格差が小さく、社会の再配分機能が弱いことがこのプレゼンでも指摘されている。特に北欧や中欧に住んでいる友人の話を聞くと、それを社会政策的に意識して推進している彼の国々の賢さに感心する反面、日本で格差が拡大しつつある現状を憂うものである。政治が機能していない証左であろう。

もう一つ気になったのは、子供の幸福度については日本だけが特異な存在だったことである。他の先進諸国では社会の格差が小さければそれだけ子供の幸福度も高いのだが、日本だけは社会の格差が小さいのに子供の幸福度は最低レベル(つまり米国と同等)なのである。それだけ日本の子供たちは窮屈な日常を送っているということであり、これが最近改めて話題になっているイジメ問題と密接な関係があることは間違いない。我が家の娘は幸いイジメと無縁に育ってきたようだが(多分「知らぬは親ばかり」ということはないと思う)、大人として申し訳ないと同時に、この社会を担う次世代の元気を取り戻して欲しいと心から思う。