「もやしビジネス」サラダコスモの経営は立ち止まらない

ビジネスモデル

5月8日放送のカンブリア宮殿は、サラダコスモ社長中田智洋(なかだ ともひろ)氏を招いて、もやし栽培に根差す驚異の経営を追ってくれました。題して「“激安野菜”もやしで驚き33年連続黒字!挑み続けた型破り経営」。

岐阜・中津川市にあるサラダコスモは、年商72億円、33年連続の黒字経営を続けている、全国有数のもやしメーカーです。今では当たり前となった「無漂白もやし」も、同社が広めたものです。もやしに情熱を注ぎ、挑み続ける中田流経営の全貌に迫る番組でした。

1袋数十円という驚きの安さで売られているもやし。これで一体どうやって利益を出しているのか?しかも一時のことでなく、長年ずっとこの値段です。いかにも不思議な野菜です。サラダコスモは、そんなもやしの大手メーカー。実は元々中田氏の家業は、ラムネ飲料の製造販売業でした。もやしは「冬の副業」として栽培していたに過ぎなかったのですが、中田氏はこのもやしに事業を集中しました。

今から40年以上前には、もやしには殺菌などのために漂白剤を使っていました。まるで今の中国と同じです。「子どもや孫が安心して食べられるもやしを作りたい」と、経営を受け継いだ中田氏は、無添加・無漂白のもやしを開発しました。でも色も悪く日持ちもしないため、全く売れない日々が続きました。そんな中で取引をしてくれたのが、生協でした。当初は業界からの反発も受けましたが、その後「安心・安全」は急速に業界に広まっていったのです。

順調に成長を続けていたサラダコスモはしかし1996年、突然の危機に見舞われました。売り上げの柱の一つとなっていたカイワレ大根が、「O-157事件」で壊滅的な風評被害を受けたのです。売れ残ったカイワレを泣きながら焼却する従業員たちを目にした中田氏は「自分の資金が底をつくまで、雇用は守る」と宣言し、経営の立て直しに奔走したのです。

まず実行したのが、一本足打法から脱し、生産する発芽野菜の品目を増やすこと。今では10品目に及びます。ヨーロッパ原産の発芽野菜「ちこり」も、その一つで、日本で初めて生産しました。地元・中津川の地域再生のために、「ちこり村」というテーマパークまで作りました。休耕地を活用してちこりの種芋を育てる一方、高齢者の雇用も生み出す仕組みです。2006年にオープンしたちこり村には、年間28万人が訪れます。

そしていま63歳の中田社長が目指すのは南米です。日本では、もやしの種は輸入に頼っているのが現状ですが、中田氏はその種を自分の手で栽培しようと乗り出したのです。種を栽培する場所は、日本からはるか遠くのパラグアイ。1000ヘクタールもの土地を借り、開墾を始めたのです。

中田社長がパラグアイを選んだ理由の一つに、日系移民の農家の存在があります。彼らの知恵と力を借りて種づくりを始めたのです。「収支のめどが立っているわけじゃない。でもこれは意義深いよ!」というのが中田社長の言葉です。型破り人生の挑戦が、再び始まったのです。